見出し画像

PerfectDays (前)平山はシンプルなのか?

さて今さらの感想文(`・ω・´)
長いのよ!

平山は、ホームポジションの人だと思う。
時間やモノを置く場所、手順とポジショニングを徹底して守る。ルーティンを大事にする。

役所広司演ずる、主人公 平山 はアラームなしで起床する。
布団を畳み、一連の朝の支度をしたら、玄関に順序正しく効率的に並べた腕時計から小銭までをルートを辿りながら身につけて、玄関を出る。
失念しない工夫。手順をきっちりとこなす。


タオルのかけ方は角を揃えたりしないし、小皿にのった小銭を無造作に握る。いつも10円残っている。神経質や潔癖症とも少し違う、という想像を与える。


毎朝、玄関先で空を確認し、ことあるごとに木洩れ日を見て、会話するような表情を浮かべる。
お昼に立ち寄る公園でOL (敢えてOLと表現したい) との微妙な距離。行きつけの飲み屋。いつもの席。洗濯。水やり。そんな場面が繰り返される。
まるでポジションの確認作業のように。日常とホームポジションは親和性がある。

ーーー
一方で、毎日は同じではない。時間は過ぎる。変化しないものはない。往々にして起こるイレギュラーな事柄のインパクトやらの概念と、ホームポジション(日常)は、真反対のコントラストを放ちながら、なのに不思議と一体のようで、答えのない深みに足を取られる感覚に襲われた。

「影が重なったら濃くなるのか?」「分からないことだらけ」という三浦友和演ずる男。年齢を重ね、未練のなか人生のターミナルをそこそこ感じた男の胸に去来する感触とも、どこかリンクするみたいだった。

ーーー
ところで、平山はシンプルなのだろうか?
生活スペースはシンプル。
けれども毎月の写真を缶に残したり、1階で寝るシーンでは、段ボールや荷物が山積みになっている。(大家さんの荷物かもしれないが)持ち物が多すぎる。


音楽にしても、ルー・リード(ベルベッドアンダーグラウンド)だ。エキセントリックで繊細。深く深く厄介すぎる。
もう少し万人に伝わる厄介さなら、ジムモリソン(ドアーズ)をチョイスすると思う。シンプルに生きている訳がない。(と私は思う)


ファインダーを覗かず撮る木洩れ日の写真。なんて無形な行為だろう。


彼は捨てられない。過去も荷物も抱えて手放せない。
曖昧さや揺らぎにのたうつ自分の気質を、年を重ねるなかで、整理整頓力という性質で収められるようになったのではないか。
ホームポジションは平山の特徴だけど一面にすぎない。
だから、平山の表情や所作、少ない会話に私たちは数多くの唯一無二の物語を感じとる。


人はそういうものだと思う。
矛盾や真反対のものをたくさん抱えている。
個が内包する世界は地球のように複雑なのだ。
少なくない人が、平山のように、拭いようのない苦しく解決のない経験を抱え続けているだろう。
ラスト3分の長回しの表情に、それで仕方がないと、生きる切なさや微笑みを共有するようだった。


Perfectなんて無い日々だからこそ
Perfectなのかなと思った。


なんと続く。マジか!

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?