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心が壊れるその前に

「逢いたいな。次はいつ逢える?」

 返事なんてこないと分かるけど送るメール。目を閉じたら逢えるからついつい送ってしまう。

「今でもあなたは、私の光」

 前髪がウザったい歌手が唄った歌詞の中に自分自身を重ねてしまう。あの暗く閉ざされた病院の中で、あなたは確かに光輝いていた。


───────

『アルコール依存症、パニック障害』

 祖父母に両腕を抱えられた私に読み上げられた逮捕状の内容だ。これから私の勾留が始まる。ダルクという留置所に3日間、その後は病院という名の刑務所へ8ヶ月間、勾留される。悪いのは私じゃない、中絶させられてトンザラこいたあのクソ男のせいでここまで狂った。私が狂ってるんじゃない、狂わされたんだ。

 病院は地獄だった。キチガイ扱いされ、ただひたすら安定剤と睡眠剤を飲み干すだけの日々。そんな中、依存症カリキュラムで出逢ったヨシキに私は心惹かれた。ヨシキは爽やかで笑顔が似合う二つ下の好青年、とても覚せい剤を好んでいた人とは思えないほど。私達はすぐに仲良くなり、お互いの好意を確認した。

 蝉が鳴り始めた頃、私は退院した。すぐにヨシキも退院した。私達は互いの実家の住所を交換した。二人とも入院した時に携帯は潰されていた。退院後、私達は手紙のやり取りを続けた。このデジタル最先端の時代で、二十代半ばの、それも依存症の男女が恋文のやり取りをしている。神様もリアクションに困るだろう。

 ヨシキの字は、それは暴力的で汚く、読みづらい。だが、手紙の内容は包み込む様な優しさと私への実直な愛で溢れていた。ヨシキの手紙が届く日は、安定剤も眠剤も飲まずに眠れた。

 退院から3ヶ月、ヨシキは土木作業員の仕事が決まった。嬉しかった反面、とてつもない孤独が私に覆い被さった。私は一向に仕事が決まらない。まだ頭がフワフワするので朝も起きれず、呂律も回らない話し方でまとまな職につけない。そんな私がたどり着いた職場は、40分7000円のマッサージ屋さんだった。

「風俗店じゃないからね。でも稼げるかどうかは自分次第だから」

 普通のマッサージ屋じゃない事はHPの在籍スタッフがみな下着みたいな格好してるからすぐに分かった。だが、そんなの今の私には関係ない。いや、選べない。結局ここにしか私の居場所はないんだから。

 マッサージ屋の仕事は想像以上にハードだった。客層は最悪。同じ人間とは思えない、いや、きっと"クソキャク"という名の雑種に違いない。

「次指名するからHさせて」
「みんなやってるけど君はできないの?」
「サービス悪いね」

 マッサージ屋で平然とこんな事を言ってHサービスを求めるヤツが同じ人間であるハズがない。中には何も言わずにパンツをズラしてくる奴もいる。こいつらは動物だ。ここは動物園で私は飼育係。メンタルはとうに限界を超えている。安定剤だけでは足りない。私はとうとう喉に通してしまった。禁止と言われたあれを、命の水を。

 途端に私のストレス値はゼロになった。いや、むしろ逆だ。今は鋼の鎧をまとった騎士だ。待機中の飲酒OKというモラルの欠片もないこの店に私は救われた。客からチップを頂戴し、順調に金を稼いでいった。祖父の名義で携帯も契約した。すぐにヨシキに教えて電話した。そしてすぐに私達は逢う約束をした。

 40km。"病み上がり"の人間が車を飛ばすには気が遠くなるような距離を、彼は乗り越えて逢いにきた。すぐさま体を重ねた。それからヨシキと数回会った後、私達は彼の実家で同棲する事になった。

 マッサージ屋にはパニック障害が再発したと嘘をつき、長期休暇を取った。彼の家での居候が始まったが、それは心地よいものではなかった。両親、特に母親は私をキチガイ扱いして邪険に扱った。そして何よりも、私は最近まで飲んでたアルコールを再び断たれ、禁断症状で毎日震えていた。とうとう我慢できず、私は一人コンビニでストロングゼロを飲み干した。卑猥なアルコールの香りが家中に漂うのは数分も掛からなかった。

「オイ!お前、酒の匂いするぞ!もう辞めたんじゃないのか?何やってんだ!」

 ヨシキは私に罵詈雑言を浴びせた。それでも私はこっそり飲酒を続けた。飲酒しては怒られ、飲酒しては怒られを繰り返した結果、とうとう顔面を拳で殴られてしまった。暴力は止まらず、両親は見て見ぬふり。耐えかねた私は彼の家を出た。実家から40km離れた都会の中、帰り方も知らない私は、以前働いてたマッサージ屋のスタッフを呼びつけた。彼との甘い同棲生活は音もなく崩れ、再び酒と客と金の日々が始まった。

 ヨシキは毎日電話してきたが、電話には出ず、着信拒否した。メールは読まずに全てゴミ箱に入れた。あんなに大好きだったのに、もう何も見たくも聞きたくもない。そんなある日、彼から手紙が届いた。

 とても酷い内容だった。"死にたい"とい単語がマシンガンのように打ち込まれた。だが、最後に"頑張る"という単語があった。

"オレも頑張るから、リサも頑張ってお酒やめて頑張ろう──"

 その言葉で手紙は締めくくられた。垂れ落ちた涙でインクがぼやけて手紙はクシャクシャになった。

 やっぱり私は彼がいないとダメだ。もう一度彼と一緒にいたい。でも私を腫れ物扱いする彼の母親の元には行きたくない。そうだ、彼の家の近くで働けばいいんだ、寮付きの職場で。彼が住んでる街は県で一番の都市。求人誌を開けば寮付きの仕事はすぐに見つかった。似たようなマッサージ屋だった。

 家具付きの綺麗なワンルームマンションが私の新居。ダイソーですぐに生活雑貨を買い、彼がいつ来てもいいように整えた。そしてすぐ彼を呼んだ。激しく愛し合い、幸せの絶頂を迎えた直後、ベッドの隣から聞こえた声に私は震えた。

「お前、まさか変な店で働いてないよな?」
『働いてる訳ないでしょ!普通のエステだよ』

 小一時間問い詰められたがシラを切り通した。彼も明日の仕事があるので、朝方には家に帰った。

 夕方過ぎ、店長が迎えにきて私は初出勤した。オーナーが変わったばかりの店で、スタッフは総入れ替え、未経験の子が多かった。即戦力だった私は、着実に指名客を増やした。店長は私を一目置いた。保証もつけてくれた。「過剰サービスしないでよ」私は無視して客からチップを取りまくった。待機中の飲酒はダメと言われたが、こっそり飲んだ。飲まないと、狂う。

 仕事が忙しくなってからは、ヨシキに構う暇がなくなった。電話してもすぐ切ったり、メールも一言返事だけだったり。なぜならヨシキは私を疑ってばかりで、いつも会話にならないからだ。本当はもっと甘えたいのに、くっついて一緒に布団の中に入りたいのに、会話をすると口が悪い刑事みたいに詰めてくる。こんなはずじゃなかった。

 ある日、仕事が終わりコンビニから酒を買ってマンションの前につくと、家の前でヨシキが立っていた。全身に震えが走り、コンビニの袋を落とした。彼の目はギラギラしていた。

「こんな時間までどこ行ってた!男か!その袋、酒だろ!」
『なんでこの時間にここにいるの!ストーカー!警察呼ぶよ!』

 ヨシキの制止を振り切り、なんとか家の中に入れた。鍵を閉めたがひっきりなしにドアを叩く。小一時間ばかり激しくドアを叩いていた。パトカーのサイレンの音が近く鳴った頃、彼は居なくなった。しかし数時間後、ベランダから外を覗くと街灯の下で膝を抱えたヨシキがいた。

 私は怖くなり、布団の中に逃げ込み、震えた。ストロングゼロと安定剤を何錠も無理やり流し込むが、落ち着かない。たまらなくなった私は、ベランダから叫んだ。

『いつまでそこにいるの!気持ち悪い!』
「リサ・・・お前に気持ち悪いって言われたらオレ、生きていけないよ・・・」
『だからそれが気持ち悪いってば!分からないの?だったら死ねばいいさ!』

 部屋に戻り再び酒を煽った。気づけばもう酒が無い。買いに行きたい。でも外にはヤツがいる。恐る恐るベランダを覗くと、ヨシキの姿はもう無かった。

 すっかり安心した私は、すぐに外へ出て酒を買い、DVDを見ながら眠りについた。が、起きたのは夜の21時。待ち受け画面は店からの不在着信だらけ。受付スタッフに『彼氏にバレそうだから今日は出勤できない』と伝えた。すぐに私は冷蔵庫からストロングゼロを取り出した。蓋を開けた瞬間、携帯が鳴った。ヨシキの家からだ。家から直接電話がくるのは珍しい。うっかり電話に出てしまった。声の主は彼の父からだった。


「リサちゃんかい・・・ヨシキが・・・今日の昼間、亡くなったよ・・・アパートの屋上から飛び降りて・・」


 私は声を失った。私が死ねって言ったからだ。父親の話によると遺書も見つかったらしい。手紙は私への愛の言葉と、懺悔の言葉で溢れていたとの事。死んで詫びると書いてあったらしい。そして、彼の遺体からは覚せい剤の陽性反応が見つかったらしい。

 気が動転した私は、すぐに店長に電話で事情を伝えた。店長はすぐに私のマンションに来てくれた。

『私のせいで・・私のせいで!』
「"ユキ"さんは悪く無いよ!自分を責めないで」

 一生懸命宥めてくれる店長。店長は長い時間一緒にいてくれた。数時間後、店の受付スタッフも来てくれた。店長は一旦帰り、受付スタッフが朝まで居てくれた。私を一人にさせないと。一人にさせたら何をするか分からないと。太陽が登り切る頃には、店長が戻ってきた。

『店長、あの・・今日彼に線香あげてきます。だからもういいですよ』
「いや、駄目です。あなたを一人にさせる訳にはいかない」
『いや、実は同じ病院にいた彼の友達が迎えに来るんです。本当ですよ?メール見ます?』

 それは嘘でもなく本当だった。同じ病院の依存症仲間からすぐに連絡があり、一緒に告別式へ行く約束をした。迎えのメールが来て外へ出るときに、店長達も帰っていった。

 告別式、彼の母親に拒絶され、斎場に入る事さえ許されなかった。外で一人立ちすくみ、悲しみにくれた。スーパーでありったけのストロングゼロをカゴに入れ、帰路についた。


 私が死ねって言ったから!

 私が死ねって言ったから!

 私が死ねって言ったから!


 何度も自分を怨み、胃の中に酒を流し込んだ。何度も嗚咽したが、それでも酒を胃の中に放り込んだ。安定剤がもう無くなったので、頼れるのは酒しかない。ストロングゼロが無ければ、私のライフメーターはゼロになってしまう。

 とうとう最後の1缶を飲み干した。空になった冷蔵庫と同じように私の心も空になった。いなくなりたい。この世から。もう疲れた。いなくなってしまおう。薄れゆく意識の中、死を決意するボタンを押しかけた時、電話が鳴った。店長だ。

 意識がもうろうとしてたので、何を話したのか全く覚えてない。もうどうでもいい。疲れた。いなくなろう。彼の元へ行こう。大好きなヨシキ、今そっちに行くね。ゴメンね──



(ドンドンドン!)



「オオォォーイ!!!!」
「開けろー!」
「あああぁぁぁげぇぇろおぉぉーーー!!!」

 雄叫びのような物凄い轟音で、私は目を覚ました。店長の声だ。

『も~店長~ウルサイですよ~』
「ハァ、ハァ、ハァ、死ぬな!生きろ!」
『もぉ~大げさですよ~』

 何もない様に振る舞ったが、心の底から安堵した。ふと昔を思い出した。幼き頃、母と一緒に寝た布団の中の、あの暖かい感触を。今は名前も知らない別の子供と一緒にいる母との、数少ない暖かい時間を。それくらい、私の心は安心感で包まれた。

 店長を部屋に入れ、今日の事を聞かれた。話すと再び悲しくなってしまい、また泣崩れた。店長からは、店はしばらく休むよう伝えられ、後から受付スタッフも合流し、私は逃げられないよう車に乗せられ、そのまま祖父母の元へ帰された。

 実家につき、チャイムを鳴らすと祖母が出てきた。フラフラになった私にとても驚き、すぐに抱きしめられた。事情を話すと祖母は大粒の涙を流した。

「あんた・・・あの子もあんたと同じ、弱い子なのよ。簡単に死ねって言っちゃだめだよ。でも、リサも辛かったねぇ。でももう大丈夫だよ、一人じゃないから。何もしなくていいから、しばらくはゆっくり休んで・・・」

 適当な業者を演じて私を引き渡した店長達に、祖父と祖母は深く頭を下げて感謝した。本当は風俗マッサージ店の店長だとも知らずに。ただ、私も深く感謝した。

 それから私は再び祖父母との生活に戻った。しばらくは何もする気力がなく、ただ家でボーッとしていた。辛い事もあったが、一人じゃないから寂しくなかった。あのまま一人寂しい部屋にいたらきっと自分で命を絶ってたかもしれない。少し元気になってきたので、恩返しがしたいと店長に電話するも「とにかくしばらく休んで」の一点張りだった。結局その店に戻る事はなかった。



 そして時がたち、私はようやく立ち直れて普通の生活に戻った。だが、相変わらず陽の浴びる仕事には就けず、今はデリバリーヘルスで働いてる。今もお酒も飲む。だけど、以前の様に依存する飲み方ではなくなった。安定剤と眠剤の服用もだいぶ減った。

 彼のことは忘れた訳ではない。忘れたくても忘れられない。今でもたまにメールを送る。返ってこないのは知っている。でもメールを送るのが一番の安定剤。

 この先誰か他の人と一緒になっても、彼の事は金輪際、忘れる事はないだろう。彼は私の中で生きている。私の心が壊れない限り、ずっと。


にふぇーでーびる!このお金は大切に使います!