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わたしが女である証明 -結婚にまつわるノイズについて

去年の夏、結婚した。32歳の誕生日を迎えた翌日だった。

付き合ってちょうど1年の記念日。半年前から同棲をしていたので、近所の市役所に婚姻届を出してから、ちょっと奮発して、記念のランチに浅草へウナギを食べに行こうと約束していた。

ウナギは彼のおごりだった。共働きだし基本的に割り勘することが多いのだが、この日は明確に理由があった。

「女の人の方が、結婚にまつわるあれこれが大変だから、労いたい」と彼が言い出したのだ。

この彼の判断は正しく、むしろちょっと高級なウナギくらいでは足りないくらいだと気づくのにそう時間はかからなかった。

苗字を変える手続きのために各所を走り回る。新しい苗字の保険証、届くのなんでそんな時間かかるねん病院行けへんやん。なんで銀行の窓口って平日しか手続きできへんねん、こっちは働いとるんじゃ!免許センター遠いねん!っていうか、めっちゃ暑いねん夏・・・!!すごい量の汗をかきながら、電車を乗り継ぎ、せっせこ歩き、わたしはようやく公的に彼と夫婦になった。

彼的には、ウナギでの労いはここらへんのことを想定していたそうだが、わたしにとっては、結婚にまつわるもっと「労ってほしいこと」がたくさんあった。

まずは入籍日。誕生日の翌日に入籍する件について、母親に「2日早ければ31歳のうちに入籍できるのに・・・考え直したら?」とたびたび言われた。ムッとはしたが、田舎の年配者の言うことだから価値観が古いんだろうと聞き流せた。だが、この母の意見に同意するわたしと同世代の友人もいた。

考えれば20代のうちに結婚したい(クリスマスケーキ論)とか、早く身を固めたい、とか、そういう常套句が体の芯までしみ込んでいる人は多いのだと思う。だけどわたしは年齢なんてどうでもいいし、彼との大事な日を一生大事にしたかったから、この日付にこだわった。

次に、出産の件。20代で出産した友人に「わたしは30歳を過ぎてから子育てするなんて体力が持たずちゃんと子育てできないと思う」と言われたことがある。もう何年も前に言われたのだが、ずっと引っかかっている。

実母も義母も、40歳近くなってからわたしたちを産んだ。特に義母はフルタイムでバリバリ管理職で働きながら、義父や親戚の手を借りながら子育てをしていたそうだ。きっとドラマや映画に出てくるような、離れず子供の面倒を見る母親になれないことに悲しみを感じるときもあったと思う。でも、手前みそですが、夫は信じられないくらい心やさしいナイスガイです。それは彼自身の生き方がよかったのはもちろん、義母の育て方がよかったのだと確信している。

ほかにも結婚にまつわるたくさんのノイズがあった。結婚の次のうれしい知らせは子供だね。結婚したんだから取引先に報告しなよ。旦那さんにちゃんとメシ作れよ。30過ぎてもらってくれる人なんていないんだから逃したらダメよ。

全部まとめて言ってやろう。

ガタガタうるせえんだよ黙ってろ。お前にわたしの何がわかる。


しかしおもしろいのは、家事のほとんどはわたしがしているし、出産年齢を気にして妊活を始めたし、結局は大多数と同じになっていることだ。偏りだらけのスタンダード、どうやらわたしにも根深く沁みついている。もっと自分の頭で考えねば。そう思う間にも時間はどんどん過ぎてゆく。そしてまたひとり、ひとりとノイズを浴びるのだろう。

結婚を通して、自分が「女」という性のもとに生きていることを証明されたような気がする。ただひとつ、誓いを立てた。人の生き方には口を出さない、ノイズは立てない。それこそが偏向スタンダードに対するわたしの態度である。

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