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西田幾多郎を読む

最近、にわかに日本思想への関心が芽生え、西田幾多郎の『善の研究』を読んでいる。

『善の研究』は西田の主著とされるが、その大部分は郷里の金沢で高校教師をしていた頃に書かれたものである。1910年に京大に招聘され、翌年の1911年に本書を上梓している。

1910年ごろといえば、ちょうど元号が明治から大正に変わる時分、銀座でカフェーパウリスタが開業し、三越が呉服屋から百貨店に転換する頃合いである。産業革命を経て都市が発展し、喫茶店や百貨店を中心に、日本史上初めて、都市大衆文化なるものが花開き始めた、そんな折に、西田は京都にやってきた。

今日、「哲学の道」として知られる銀閣寺の疏水沿いを、西田は歩いた。出町柳の借家から、河原町方面の喧騒に背を向けるように、ひたすら東に歩いた。西田は、都市大衆文化というものを知らない人なのである。おそらく西田は、コーヒー(という覚醒剤)を飲まずに哲学した。四条河原町のフランソワだの築地だの、イケイケの学生たちが入り浸っては革命や思想について抽象的な議論を繰り広げる、そういう「文化空間」とは無縁だった。高島屋や大丸にも行かなかっただろう。京大農学部前の進々堂には(散歩コースなので)、ふらっと寄ったことがあるかもしれないが・・。


『善の研究』における西田の主眼は「純粋経験と実在」にある。まだ読み進めている途中だが、どうやら西田は、純粋経験こそが実在であり、精神と物体、主観と客観なる区別は、純粋経験から派生して思弁的に事後構築されたものにすぎず、したがって(世間でそう信じられているのとは反対に)実在ではないと主張しているようだ。

かくの如く主客の未だ分れざる独立自全の真実在は知情意を一にしたものである。真実在は普通に考えられているような冷静なる知識の対象ではない。我々の情意より成り立った者である。即ち単に存在ではなくして意味をもった者である。

『善の研究』p.82

私たちは鮮やかな花を見て、その美しさに感動する。この「美しいなあ、綺麗だなあ」という感慨こそが純粋経験であって、これを例えばその日の日記に「今日、鴨川で私は綺麗な花を見ました」と書くと、そこに「私」という主観と「花」という客観とが分岐する。世界にはあたかも最初から私という実在と花という実在が存在しているかのようだ。さらに科学的に洗練させれば、花の分子構造と太陽光が観察者の目の網膜を触発し、花の知覚を示現させたという風に描くこともできる。しかしそれらは、西田によれば、便宜的な「おはなし」にすぎず、真に実在するのは、「綺麗な花だなあ」という、知・情・意がそのつどすでに統一された直接的経験の方なのである。

さて、このような真実在としての純粋経験は、それ自体ですでに意味を帯びていると西田はいう。引用でいわれているように、真実在は、単なる存在ではなく意味をもったものであると。このあたりを読むと、やはりフッサールやメルロ=ポンティの現象学文脈を想起せざるをえない。私たちは、観察者や科学者である前に生活者である。生活者は、回顧や分析に先立って「世界を生きている」のであり、花は客観的な記号や情報である以前に「綺麗だなあ」という意味として経験される。現象学の創始者フッサールは、主知主義や経験主義に陥った19世紀諸科学に危機感を抱き、「生活世界の現象学」を提唱したわけだ。

しかし、生きられた意味とは、果たして根源的なものだろうか。西田やフッサールは、違う語り口ではあるが、ともに日常生活で体験される素朴な意味現象に照準を合わせ、そこから諸学の可能性の条件を吟味・評価しようとした。西田は「純粋経験」を、そしてフッサールは「事象そのもの」を、我々が立ち帰るべき最根源的事実とみなした。しかし、それらを思考の最終終着点と見積もってよいのだろうか。

なんということはない。たとえばその「美しい花だ」という意味を、赤ん坊は知覚できるのか。花と、その花が咲いている木と、その背後にある民家と、上空の空と、傍にいる母親と、ほとんど不分明である可能性が高い。花を見ようが、目を瞑っていようが、赤ん坊はただ大腸と肛門のあたりに違和感を覚え始めているだけかもしれない。

また、西田は花や星や音楽など、風流な対象ばかり選んでいるが、素朴な生活実感から生きられる意味でいえば、「女性を見て発情した」とか「世間ではブラック企業と言われているけどこの会社と仲間が大好きだ」などというキワどくも素朴な経験だって、西田のいう純粋経験に相当するはずである。このように、純粋経験と一口に言っても、それをどこまで遡行するか、どこらへんで打ち止めにするか、という問題は解決されていない。

こうした問題に行き当たって、ふと思い出したのがレヴィナスである。私は大学時代、フランスの哲学者エマニュエル・レヴィナス(フッサールの弟子でもある)の著作を好きで読んでいたのだが、そこであれこれ展開されていた難解なフレーズを記憶の彼方から引っ張り出してみる。レヴィナスはたしか、「他者は意味に先立つ」というようなことを言っていたのである。「他者は意味作用(signification)である」とも。

これはつまり、西田的な純粋経験の行き詰まりを解消する、ひとつの補助線となりうる。花の美しさに感動できるためには、花を花として識別し、季節が巡ることを知り、味気ない生活や労働の苦しみを知り、およそ生命の儚さを覚知している必要がある。要するに、赤ん坊の状態から、人間へと、大人へと、成長しなければならないのである。

赤ん坊ひとりでは、しかし、大人へと成長することはできない。親を中心に、周囲の大人、つまり他者が、赤ん坊を大人に育て上げていく。同意などない。赤ん坊と大人で対等な合意や金銭的な等価交換があって、「よし、じゃあ契約通り大人に育てましょう、ついてきてね」となるのではない。赤ん坊は、有無を言わせず、こう言ってよければ暴力的に、大人へと、人間へと引きずり上げられるのだ。そしていつの日か気づいたら、花の美しさに感動できる人間が出来上がっている。

西田は、花鳥風月に感動するその瞬間、瞬間の耽美性に、実在としての純粋経験を見た。たしかに直接的で純粋な経験ではある。しかし、それで議論に終止符が打たれるわけではない。純粋経験の実在性は、他者による裏づけを必要とするのだ。西田が、(当たり前すぎるが)性的比喩とかやりがい搾取を純粋経験の例として挙げないのも、西田が生きる世界自体が、他者 ー いかなる客観性よりもさらに客観的な客観性 ー によってそのつどすでに「地ならし」されていたからにほかならない。他者の近さ(proximité)を、それと自覚するまでもないほど自明に感じていたからにほかならない。


西田の著作は、大正・昭和の「血気盛んな」学生たちに愛読された。「よくわからないけど、なんとなく大事なことが書いてあるに違いない」というまっすぐで可憐な直観を頼りに、難解であること自体を楽しむように、愛読されてきた。西田の知らない都会の喫茶店や酒場で、人生の真理を渇望する若者たちが、熱く、あるいは悶々と、西田の哲学を貪るように求めたのだ。西田は、激動の近代日本において、一種の精神的道標とみなされたのかもしれない。大衆消費社会によって汚染されていない、近代日本語で書かれた唯一の国民的哲学書。『善の研究』が据えた純粋経験の実在性を、彼らの集合的無意識は、古き良き日本の実在性(本来性)として読み替えた。

しかし、大衆化、都市化、消費社会化、サービス労働社会化の趨勢は、誰も止めようがなかった。西田哲学は「郷愁」としてしか生きながらえなかった。純粋経験が根源的であるだけに、あらゆる非本来的派生体が許容されるかのようだ。それは純粋経験の失敗ではなくむしろ偉大さである。だがやはり、純粋経験は真の実在ではなかったのだ。

西田の時代はまだ実在的だった農村漁村も、大原女のような行商も、また、大正時代に勃興した「ハイカラ」な喫茶店や百貨店も、すでに過去のものとなっている(なりつつある)。西田が素朴に肩入れする芸術の営みも、いまや「現代アート」として、軽蔑や反感の渦巻く磁場となってしまった(ユーチューバーやインスタグラマーなどの「クリエイティブ」系個人表現はいうまでもない)。だがいずれにせよ、現代人は、一方では資本主義や消費社会に疲弊しつつも、なんだかんだで、その生活様式に愛着を抱いて変えるところがない。それがいかに派生的で非本来的な風景だったとしても、にもかかわらず、相変わらずそこに人がいるという事実より重たいものはない。現代哲学は「存在者」を軽視しすぎである。


それでも今日も西田を読む。「歴史の諸行無常という悲哀」(小倉紀蔵)を、その著作のうちで追体験するため、か・・。

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