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自分の思いを文字で見たときの不都合な真実

こんにちは!MAIです^^

自分が話したいことや学んだことを、人前で話そうとするとき、文字化/言語化してのぞむわけですが、こうして文字に起こしてみるとわかるんです。

さらに話そうとするとわかるんです。

自分がいかに理解していないか。思索が浅いか(涙)

たとえば、講座で何か学んだり、本を読んだりした後、あぁ~ええもん聞いたわ、いい知識読んだわ~という気持ちになって、何か理解したつもりになる。

今までの自分から前に進んだ気持ちになる。自己投資ばんざーい、って思う。

いろんなことを吸収して、頭の中で考えているつもりであっても、それをいざ話そうとした瞬間、文字に起こそうとした瞬間、適切な表現が見つからないことに気づく(汗)

例えば、1冊本を読んだけれど、ではそれをサマリーして話せ、と言われたときの、言葉がでてこないときの気持ちに似ているだろうか。

学んで、インストールしただけでは、血肉になっていない(震)

確かに何か自分の中に学んだことや、表現したい感覚があるのに、でてこない(涙)

この感情や感覚を伝えることができる言葉が足りない。そんなことに気がつく(空)

人前で話そうとしたとき、言語化しようとしたとき、不都合な真実が露呈する(遠い目)

インプットがないとアウトプットもでてこないので、インプットは大事ですが、さらに自分の中にあるものをアウトプットする、言語化する習慣がないと、学んだことが言語化されないまま、「よかった」「わるかった」程度のぼんやりイメージだけで石灰化しちゃう。

だから「あの本よかったよー!感動した!」程度のレコメンドしかできない(涙)

なので言語化して話をすることが、学びを意味あるものにするのだろうと思う。

アウトプットする方法も様々で、自分から絞り出す、ということもあるけれど、一番気づきがでかいのは、フィードバックをもらったり、人から問われて初めてでてくる言葉だろうと思う。

自分の視点だけで編み出す質問は結局自分の世界の中だけで生まれるから一定以上広がらない。

でも自分にはない他人目線でもらう質問は自分の世界をひろげてくれます。

最近問われて、はっ!とした質問は「仕事の報酬がすべて同じなら、何をしたいか?」でした。

損得をおいて、自分のしたいことを引き出してくれた質問です。

そうして自分の中にあった感覚に気づき、それが言葉にのったとき、自分のことを新しく知れる瞬間であり、それがたまらなく嬉しい。

自分の中にある言葉にならない感覚の正体が何なのか、それが言葉になるまで、何がこんな感覚にさせているのか、わからない。

だから不安になったり、逃げたくなったりする。でもそれに気づけた瞬間、それがネガティブな感情であったとしても、安心感がうまれる。

課題が明確になれば解決できるからだ。

人に問われる、人から質問してもらえる、そういう環境に身をおいたとき、新たな自分を発見できます。

だから適切な質問を投げてくれるコーチングには価値があるのだろうと思う。



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