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彷徨う日々

人生100年時代と言われるようになって久しい。
現在、その半分が経過した。

順風満帆のようにも、天真爛漫とも言われたこともあるのだけれど。
本人としては、好きなように生きてきた、なんて実感はほとんどない。

ただただ、得ることも無かった長期的視野に似た、実に近視眼的で短絡的な思い込みで、走り続け、倒れ、養生をし、生きながらえてきた、くらいの感覚。

どこにでもいそうな人間が、どこにでも転がっていそうな言葉を紡いだところで、何かの、誰かの役に立つのだろうか。
そんな思いがあり、これまで、何度も、書いては閉じ、を繰り返してきた。

様々なジャンルの本、サイト、ブログを読んだり、幾つかの職を転々とする中、多くの方の、何気ない一言に、救われもしてきた。

昭和生まれにしては、全くと言っていいほど、バブル期の恩恵を受けた記憶がほとんどない。
しいて上げれば、幼い日に、親が百科事典を買ってくれたことくらいだろうか。
一時期は熱心に読み込んだりもしていたが、それもやがて熱が冷めていた。

熱しやすく冷めやすい、と、自覚している。
それ故、ここの文章を綴ることを、また飽きてしまうこともあるのかもしれない。

では何故、また書いているのだろう。

文章を書くこと自体も苦手だったし、何よりも、義務教育から高校の頃、読書感想文が苦手だった。
「感想」という「回答」が、全く思いつかなかったからなのだろうか。

高一の頃、吉川英治著「三国志」を読み始めた。
高校3年かけても、全8巻を読み切ることができなかった。
一年間の浪人期間中の夏に、一念発起。
娯楽は、「三国志」を読むことのみ、とした。
当時、発刊途中だった、横山光輝の漫画を少し買って読んで、イメージを膨らませ、全8巻を読み切ることができた。
それから、あの半年余りで、数回繰り返し読み込んだ。

学生時代、「この人の話は分かり易いし、何より、微笑みから伝わる人徳、人格」に感心する人たちが、幾人もいて、読書量も半端ないらしい。とか。

たぶん、あの時期がきっかけになり、文学作品というものに挑戦しようと思い始めた。

読書経験の始まりの話を、記憶を辿りつつ、書いてしまったが、以来、幾つかの文学作品を読み、読書の楽しさを知ることになった。
「読書」自体の楽しさを語ると、聞かれることがある。

「読み切ることができないんですが、どうしたらいいですか?」

先に書いた経験を交え、読むのを止めたところから、もう一度、読んでみて、読み終わって、最初から読んでみたい、と思ったら読めばいいのでは?と答えるようにしている。

国語という教科としては、不正解な回答かもしれない。

しかしながら、挑戦し始めたことを肯定し、読み切ることで、自身を得るのではないだろうか、とも思う。
(別のジャンルの作品、という答えも用意しておこうか)


ということで、今でも残っている、経験から得たものや、ここ数年で読んで、書き残しておきたいこと。

不器用に、ままならない人生を歩んできたからこそ、感じたこと、思ったこと、考えていることを、自由に書き連ねていこうと思う。


まあ、それほど、人は他人の人生に関心を持つことは、めったにないのだし、気軽に始めてみましょうか。

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