蒲柳

「軟弱ものですから」との意味の故事成語「蒲柳の質」より。写真や感じたままの言の葉を。 …

蒲柳

「軟弱ものですから」との意味の故事成語「蒲柳の質」より。写真や感じたままの言の葉を。 投稿後、推敲して、改訂する事が多々あり。 事務職。氷河期初期型。都下在住。 主な関心事:労働観、人的資源管理、人間学。少しアニヲタ。 Twitter:蒲柳@kakko_kari201

最近の記事

桜咲く頃にぼんやりと考える

「待て、しかして後に、希望せよ」 とは、デュマ「モンテ・クリスト伯」の末尾。 何か事を起こすなり、何かを成そうと思い立つとき、ふとこの言葉がよぎる。 「人(他人)は変えることはできない。  変えることができるのは自分だけ」 と巷間でも言われる。 これまでの長い年月で、大変魅力的な方にもお会いできたし、(あんな風にはなりたくない)と思った方もいた。 そんな自分は、どうなのだろう。 目標を諦めたり、病気になったり、転職を繰り返し、氷河期と言われたりもした。 ゆっくり休息を

    • 彷徨う日々

      人生100年時代と言われるようになって久しい。 現在、その半分が経過した。 順風満帆のようにも、天真爛漫とも言われたこともあるのだけれど。 本人としては、好きなように生きてきた、なんて実感はほとんどない。 ただただ、得ることも無かった長期的視野に似た、実に近視眼的で短絡的な思い込みで、走り続け、倒れ、養生をし、生きながらえてきた、くらいの感覚。 どこにでもいそうな人間が、どこにでも転がっていそうな言葉を紡いだところで、何かの、誰かの役に立つのだろうか。 そんな思いがあり

      • 「夜と霧」覚え書き

        アウシュビッツに収監された、精神科医、ヴィクトール・E・フランクル著「夜と霧」より、いくつか抜粋。 かつてドストエフスキーはこう言った。 「わたしが恐れるのはただひとつ、わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ」 およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在は初めて完全なものになるのだ。 ー23/10/8に

        • 珈琲こと始め

          先月の今頃(2023年2月)、数十年飲み続けているコーヒーについて、ぼんやり考えていた。 コーヒーメーカーを貰ったのは、20年以上前の事。 あまり分量を調べることもなく、毎日のように飲んできた。 (そういえば、粉の適正な分量ってあるんかな?) その時までは、挽いた粉を買っていた。 動画やブログを検索してみると、、、何とも薄いコーヒーを飲んできた事が分かった。 街のカフェとかで飲んできた濃さとの違いに、今更ながら気づく。 …味覚障害、というより、拘りが無さすぎで、自嘲し

        桜咲く頃にぼんやりと考える

          準備中につき

          少し考えていることがあり、過去の投稿を削除(下書きに)しました。 ぼちぼち再開予定でございます。

          準備中につき

          定点観測:御茶ノ水駅

          いつのころからだったかと思い、検索してみたところ、2020年11月からだった。 ここからほぼひと月毎に更新。 記録によれば、2021年1月には、聖橋口の解体が終わっていた。 2021年2月。 同じく2021年4月。 同2021年5月。 2021年7月。 2021年8月。 2021年9月。おまけ 2021年10月 2021年11月。周囲の木々が色づいていく。 2022年2月 2022年5月。 2022年8月。夏の空。 2022年9月。 2022年1

          定点観測:御茶ノ水駅