「素人がホテルを作るなんて、絶対無理」と言われていた
順風満帆……ではなかった
最近ありがたいことに、こう言われることがあります。
「順風満帆ですね」
たしかにどんどんNOT A HOTELはオープンしていますし、NFTも多くの方に買っていただいています。新しいプロジェクトも雑誌に掲載されたりと、外から見ると「うまくいっている感」が出ているのかもしれません。
でも、この3年間、ほとんどが失敗だらけ。ずっと逆風。試練の連続でした。途中、社員が辞めていってしまったこともありました。
今回は、会社を立ち上げてからもうすぐ3年ということで、これまでのことをちょっと振り返ってみたいと思います。
「素人がホテルを作るなんて絶対に無理だ」
創業当時、よく言われていた言葉があります。
それが「素人がホテルを作るなんて絶対に無理だ」という言葉。
いま考えれば、そう言われるのも無理はありません。実際に僕自身、ホテル経営の経験はないですし、うまくいく保証なんてどこにもありませんでした。
しかも設立は2020年の4月。
コロナが始まって、世界中が「これからどうなるんだろう」と不安に思っていた時期です。ロックダウンで街からは人が消えていきました。そんななか、ズブの素人が「ホテルを作ります!」と言い始めたわけです。
そりゃ「無理でしょ」と言われるのは当然です。
お金を集めるときも「こんなコロナ禍で資金調達するなんて無理」と言われました。ホテルの直営をすると決めたときも「素人がホテル運営するなんて無理だ」と言われました。NFTの事業だって、最初は「NFTで不動産が売れるわけない」と言われていました。
考えてみれば、ずっと「無理でしょ」と言われ続けてきた気がします。でも……僕は「無理だ」と言われるほうが燃えるんです。
起業家は多かれ少なかれみんなそうなんじゃないでしょうか? 「燃える」と言っても「見返してやる」という感じではありません。本当に「これが実現できたら面白いよね!」「そして絶対できるはずだ!」と思い込んでいたんです。
ポエムだけの事業計画書
ここに当時の事業計画書があります。
事業計画書といっても、たった16ページのプレゼン資料です。
一部をお見せするとこんな感じです。
これが2020年3月時点の資料。社名も「NOT HOTEL」になってたりします笑
当時は「ホテルのCG画像」すらありませんでした。
NOT A HOTELを発表したとき「CGとネットで家が売れるわけない」とよく言われたのですが、最初はCGすらなかった。お気に入りの写真と一緒に僕がポエムを書いていました。
ポエムに出てくる「42歳作家」という人物も実在しません。適当です。「42歳の作家がNOT A HOTELで過ごしたらこんな生活ができるよ」みたいなポエムを書いたんです。クリエイターの人にイメージを膨らませてほしかったからです。
こうしてできたプレゼン資料を持って、いろんな投資家に話を持っていくわけですが、まあ、バンバン断られました。「ホテルの経験もないのに無理でしょ?」「採算取れるんですか?」「コロナ禍でさすがに厳しいですね」。いろんな角度から否定されて断られました。
そんななか最初に6億円を出資してくれたのがANRIさんでした。
その時点で資料は100ページくらいにはなっていましたが、事業計画の数字すらないポエムだらけのものでした。
最初の資金調達は2020年の4月ですが、あの時期にしかもポエムだらけの事業計画書に出資を決断してくれたアンリさんには感謝しかないですし、シンプルにすごいなと思っています!
僕と奥さんが「使いたい」と思ったサービス
NOT A HOTELは、エクセルと睨めっこして「これぐらい稼げそうだから」という経緯でできたわけではありません。
僕や奥さんが「こういうのがあったらいいよね! 欲しいよね!」という思いから始まったんです。
事業を練っているときは、僕がポエムをひとつ書いたら奥さんに見せるということをずっと繰り返していました。奥さんが最初の読者になってくれて「こういうの、いいね」みたいに感想をもらっていたんです。
NOT A HOTELは僕と奥さんが「使いたい」と思ったサービスです。
事業内容は最初の頃と今とでは微妙に違うんですが、原点の思いは変わっていません。自分自身や近くの人が喜ぶようなサービスだったことでプレゼンにも思いがこもり、その思いがいつの間にか情熱に代わり、資金調達につながったのかもしれません。
調達したお金で牧場を買う
結果的に資金調達は、ANRIさんに続いて、最初の起業からご支援頂いているGMOベンチャーパートナーズさんやSMBCベンチャーキャピタルさん、個人投資家のみなさんから約4億円を調達して、計10億円を集めることができました。
そのお金で何を買ったかというと、実は「土地」です。土地というか牧場でした。アンリさんは調達したお金でまさか牧場を買ってくるとは思ってなかったらしくて衝撃を受けたと言っていました。
なぜ牧場を買うことになったか?
これも恥ずかしい話なのですが、そもそも僕は「CGだけ作れば、先にお客さんにホテルを売ることができる」と思っていたんです。でも実際は、土地の所有者が「建築の確認申請」という行政の許可をとらなければ売ってはダメだということがわかったんです。それは資金調達した後でした。
不動産のプロからするとあたりまえの話らしいのですが、僕はそのことを知らなかった。だから「土地を買いたいから買った」というより「買わざるをえなかった」のです。結局、資金調達の大半を土地を買うことに使ってしまいました。
ホテルのプロは呆れて全員辞めてしまった
さて、ここからホテルを作っていかなきゃいけないわけですが、何度も言うようにホテルなんて作ったことがありません。
そこで僕はホテル経営のプロにたくさん来てもらうことにしました。しかし結果としてはうまくいきませんでした。
みんな離れて行っちゃったんです。
運営が始まった今、ようやくみんなが言ってくれていたことが理解できてきたのですが、当時は「ホテルの常識」を僕が理解できなくて、本当に申し訳ないことをしたと思っています。
ただ、その素人の発想が今につながった部分もあります。
創業直後の僕がもし「ホテルってそういうもんなんだ」と素直になりすぎてプロの言うとおりにやっていたら「NOT A HOTEL」にはなっていません。そこは「素人だからこそ」新しいことができたという一面もある。
そこのバランスは難しいものがありました。
「ホテル」ではなく「NOT A HOTEL」を作る
僕が作ろうとしているのは「これまであったホテル」というよりも「プラットフォーム」に近いものでした。
いずれは自分の家が世界中にある状態を作りたい。そして「家はひとつ」という時代を終わらせて「すべての人にNOT A HOTELを」を実現しようと思ってやっています。
そこはやっぱり伝わりにくかったんですよね。
たとえば当初、ホテルは那須と青島の2ヶ所で、計8部屋しかありませんでした。その時点では一般的には「小さな旅館」ですよね。でも僕はその8部屋しかない建物を運営するために社内にエンジニアを20人ほど抱えてソフトウェアを開発していたんです。こんなこと、普通はありえません。これまでのホテル運営からすると全部バランスがおかしいんです。
なぜこうなるかというと「将来的に数万室になる」という前提で動いていたから。目の前の8部屋を回すためのシステムではなくて、将来的に数万室を運営するプラットフォームを作ろうとしている。ここは理解してほしいと言っても難しかった。「まず8部屋で採算を合わせましょう」となるのが普通です。
僕たちはビジョンを実現する前提でプロダクトを作っていた。その部分でのすれ違いは、仕方のない部分もありました。
なぜNOT A HOTELは2年でできたのか?
開業までのスケジュールに関してもそうです。
僕は「2年で開業できる」と思っていたんですが、ホテル開発のプロは「5年はかかる」と言います。基本構想だけで1年かかって、設計で1年半、建物を建てるのに2年。運営体制をつくるのを半年と考えても5年以上は絶対にかかる、と。
でも僕は「自分の家を作るなら?」ということを基準に考えました。
自分の家なら「設計で1年、建築で1年」くらいだろう、と。(これすら根拠はありませんが……)。これまでの常識からすれば無謀なのかもしれませんが、かかる時間が半分になることはみんなの工数を抑えることにもつながるはずだ、とも思ったのです。
とはいえ、建築家のみなさんにもかなり無理なスケジュールをお願いしており、本当に頭が下がります🙇
ちなみに、那須の設計をお願いしたSUPPOSE DESIGN OFFICEの谷尻さんがこんな投稿をしてくれました。
あっという間の2年間でしたが、本当に学びしかありませんでした。
途中からは、僕らも社内に「建築部」を作りました。これもけっこう珍しいことかもしれません。ホテルの会社の中に設計士がこれだけいるところはあまり聞いたことがない。まだ8部屋しかないのに設計士は9人です。
建築家を増やしたのは、常識をさらに疑っているから。2年という期間を1日でも1ヶ月でも短く、さらに良いものをつくるにはどうすればいいか、を今後も追求していきます。
無理を実現することで、信用を積み上げてきた
僕はこんな感じで、あえて「素人の発想」をすることで突破できたように思います。
ただ、僕がこのやり方でも許されたのはまわりから「無理だ」と言われたことでもひとつひとつ実現させてきたからなのかもしれません。それが積み重なって「なんかできるんじゃないか?」と思ってもらえるようになったんじゃないかと思うんです。
建築家の方やゼネコンの方からすると「僕がコロナ禍にもかかわらず10億円を資金調達した」ということも、ひとつの信用となって、仕事を受けていただいたということもありそうです。
投資家のみなさんも最初は「本当にCGで家が売れるのか?」と思っていたはずです。でも最初の24時間で15億円を販売して、累計で60億円を販売できた。その実績で「できるんだ」と思ってもらえたのかもしれない。
NFTのプロジェクトもその積み重ねの上にあります。もし2年前に「NFTを売ります」と言ってもできなかったはずです。NFTは「実際にNOT A HOTELが建った」という信用から成り立った事業だからです。
無理だと言われているものを、少しずつ実現して、それを信用にしていく。その信用を持って、さらに無理だと言われているものを実現していく。
3年間、この繰り返しだった気がします。
そして、今日発表させていただいたシリーズAの資金調達。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000013.000080389.html
前のラウンドで投資していただいたすべてのベンチャーキャピタル、事業会社のみなさまから追加投資をいただけました。また、KDDIさんや地方銀行さんなど、多くの新規投資家のみなさまにも出資いただけたことをとてもうれしく思っています!
できた信用をお返ししていく
これからは逆に積み上がった信用をちょっとずつ返していければと思っています。
たとえば、宮崎の青島はずっと空き地で、廃墟が建っていたようなところでした。そこに僕らがNOT A HOTELを建てたことで「宮崎にもこんな建物ができるんだ!」「すごい素敵な場所ができた!」と言ってもらえるようになりました。
これは得た信用を僕の地元に返すことができたひとつの例かな、と思います。今では、それを見ていただいた全国の自治体さんや地主のみなさんからお声がけいただけるようにもなってきました。
もともと信用のなかった僕らですが、実績を積むことで少しずつ信用を生み出してきました。そして、今度はその信用を返していきたいと思っています。「信用の積み上げ」と「信用のお返し」を繰り返しながら、少しずつ会社を大きくしていく。そうやってNOT A HOTELも微力ながら社会に貢献できたらうれしいな、と思っています。
最後に。
NOT A HOTELはまだ始まったばかりです。
エンジニア、建築家、編集者、ビジネス、コーポレートあらゆるジャンルのプロフェッショナルを求めています。
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