やさしいお話

姉がシェアしてくれたのでここにも貼っておく。

「言い訳」って察知した、或は、お孫さんの言葉を額面通りには信じられなかった、っていう場面から、「自分も算数が苦手だった1年生に、、、」というのは常に誰もがする考え方ではないような気がする。

私自身読んで「やさしいなー」ってなんで感じたのかな?と考えたんだけれど。

多分ポイントは、お孫さんがシールもらえなくても、ノート?見せてるし、それで泣いているってところなのかなーと。

だって、言い訳するぐらいなら見せなきゃいい。隠しちゃえ!って思ってもおかしくないじゃない?でもおじいさんやおばあさんとお孫さんとの関係上「隠す」ってことはできないんだろう。強制とかではなくて、お孫さん側の善悪の判断として。

別の「いい/わるい」もあって、問題できない(シールもらえなかった)っていう悔しさというか、残念さもあるんだろうな、と。

で。シールないのを見せて、泣く。

正確に読めているかどうかに関係なく、多分おじいさんはお孫さんの中に複雑な思いを見た。そういう形になっている(いっしょに問題を考えてみる、そしてできるようになったらそれをよろこぶ)から、いいなーって思えたのだろう。

いつもいつもいい方向に流れるとは限らない。「思い込み」か「思いやり」か。

おじいさんのように、いいものを信じ切る、ということはとても大事なんじゃないだろうか。。。そんなことを考えさせられました。


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