見出し画像

「自分のためが他人のため」がキレイ事なら

知識や情報の価値の厳密な計算

学ぶということが、それでもって他との差別化を図って、ほんでもって食っていける、というところに帰着するしかないなら。。。

別に学ばなくてもいいんじゃないの?

学ぶってピュアに社会全体、人類全体のためだからさ。

お値段なんて付けられないのよ。

なぁんてね。。。

今のご時世じゃあキレイ事(にも聞こえないか)。

色々ある知識を仕分けしてそれぞれお値段付けて、売り買いすることによって生きて行ける人が増えるなら、知識の売り買いだって正当化できる。

んだよね。

知識以外の資源は限られているし、均等に散らばってもいないし。

その点知識や情報は相当流動性が高い。ように見える。

お値段の高い知識や情報ってのは、私たちが暮らす物理的な環境が好ましい方向に変化させられるようなものとか、身体に及ぼす危険度が下げられるようなものとか。

つまりは、物理的・身体的な要素と、知識や情報も何らかの繋がりがある、と見られているということ。その繋がり度(お役立ち度)の違いがお値段の違いとなる。

「何らかの繋がり」これが曲者だ。

知識や情報が、物的・身体的なものどもと繋がっていることは確かだろうけれども、繋がり方やら繋がりの緊密さ/疎遠さやらって、計測可能なもの、価格付け可能なものなのか?というと実はそれほど確たる根拠はない。

案外適当。雰囲気?

ということで。

多分知識や情報を売り買いすることで食い扶持を稼ぐという選択肢はなくならないだろうから、妥協案としては、計算を厳密にしていこう!

どうやるのかは私も分からない。

けれども、前提として、生きてたら人間、何か知識や情報は生み出し続けている。今の基準だとゴミでしかなくてもね。

勿論マイナスの影響を与えている可能性もあろうけれども、プラスの影響が全くもってゼロってこともなかろうと。

何に対する影響?

当然、物的豊かさとか身体の安全とかですよ。

これ読んでて思ったんですよね。

生産性向上のための技術革新だ!とか、自然環境保全重視だ!とかわいわい騒いでいる人々は、そりゃ勿論大いに貢献していることだろう。人類の安全とか地球環境の保全とかに対して。

それでもさー。

だまぁーってあるもの食べて、なかったら2週間ぐらい水だけ飲んで暮らしているような人だって、結構貢献してると思うのさ。少なくともゼロじゃないよね?ビッグマック買って半分ゴミ箱に捨てる人と比べればプラスじゃない?有限な資源の使い方として。

問題は、「じゃあみんなでマネしろ!」とか強制が入ったり、「そんな惨めな暮らしでみんな満足すると思ってんのか!」とか脅しが入ったりすることよね。

勿論色々工夫し続けることだって大切さ。でも、与えられた環境って人それぞれ違い過ぎるわけで。。。与えられた環境なりにじゃダメなのかな?

工夫できる人はする。

いや。

与えられた環境なりに、ごみ箱に捨てられたもので生きて行こうとするのだって工夫してないってわけじゃないよね?

それぞれできることをやる。だけじゃなくて、「これが自分のとり得るベストだと思う。多分。。。」ぐらいの信念(?)は持つ。

信念みたいなもんがないとなー。

やっぱすぐ文句出るでしょ?

「ちっ。こっちゃ日々苦労してんのによ。ゴミ拾ってのらくら生きてやがって。」とかね。。。

はっきりいって関係ないじゃんねー。文句言う人たちが、本当に明日にでもごみ拾いの仲間になりそうってほど困っているためしがないし。。。困窮度どーこーの話なんてどーでもよくて、面倒見る気もサラサラない、ごみ拾いで生きるプロセスの実態知りたいとかいう気もないのに、文句だけ言うなってのよね。

リンクの記事でも、主に技術革新派vs.環境保全派の対立が描かれていて、なんで折衷案がないの?って疑問が呈せられていたけれど、世界全体みたいなおっきな話をする人たちって、地べたの話がお留守になりがち。

生きてらっしゃるんですよ。めっちゃ多くの人間が。なんとかかんとかやりくりしながらさ。

そーいうのって十分大切なポテンシャルだと思うのさ。

どんな技術が開発されてもね。それが運用されていく上で。

くれぐれも。技術開発がムダとは全く言ってませんので。

また、なんとかやりくりしてんだから放置でOKとも言ってません。

今回の主題はあくまでも知的貢献。みんなゼロではなかろうということ。

ゼロでないなら値段付けて報酬あげようよ。と。

方法は???分かんないんだけどもね。。。

しゃーないでしょ?

「知識はみんなのものだし売り買いしたくない」よりも、「俺様は知識で食っていく」の方が支配的なわけだし。

方法は分かんないとは言ったけれど、考慮されるべき制限はあると思う。

知識や情報ったって無限じゃないということ。

物的・身体的要素と繋がっている、といった通り。

その辺に制限はかかる。

エネルギーね。

これもほぼ無限にありそうだけれども。。。

「人間様の用に応え得るようなエネルギー」という条件を加えると。。。

多分無限とは言えない。

知識や情報の価値の厳密な計算にはこうした避けられない制約は加味されないといけないでしょうね。。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?