「語学」留学では上達感が低いわけ

シンプルに「慣らし運転」だから。

理想としては「語学留学のその先」例えばお仕事をする、大学で●●を学ぶ!などいわゆる目的のようなものがはっきりしている方がいいのだけど、それらが決まってないからって何もしないでは一向に母国語以外の言語を使えるようにはならない。ことばって運動的側面もあるから全く体使った練習なしだと使えるようにはなかなかならないのよね。

特段具体的な使用目的がない場合でも、とある語学が使えるようになった!と感じられる場面ってのは実は沢山あるんだけど、自然なタイミングであいさつや相槌が口から流れ出て来たり、すごくシンプルだけどお買い物のようなミッションが目的通り達成できたり、、、。そういうものだけでは何か物足りないのも事実。

なら一体どういう感じになれれば上達したなー♪って思えるか?シンプルな例えでいうと、ニュースキャスターやDJのようにほぼネイティヴの発音で、2、3分なら軽く喋り通せる感じでしょうか。これに他者とのやりとりの連続(ディスカッション?)とか加わればほぼ誰にでも「私●●語喋れます」って何の後ろめたさも感じずに言えることだろう。

勿論そうなるための方法論はある。いわゆる完コピってやつです。楽器の練習と一緒。耳で聴いて、それを忠実に真似る。実はこれ、語学留学じゃない方が集中してできるのよね。。。友だちと二人一組でお互いをチェックし合う、という方法も効果的なのだけど、よっぽど気の合う人同士でないと、人間いろいろ気も遣うじゃない?つまり、それができるなら、別に外国であろうが日本であろうが場所はあまり関係ないってこと。

そういったネイティヴ並を目指す!というのはそれぞれの人の努力次第だから、語学留学では不可能、とは言えない。けれども言うは易しで完コピは中々難しい。では行ってしまった語学留学で何を学ぶべきか?勿論語学留学なのだから単語覚えたり文法勉強したりはするでしょう。私が思うのは、折角外国へ行ったのだから、日本と似ているところ・全く異なるところをまあ満喫して欲しいということ。あと、語学を学びに行って気づくのは、「使う場面」が案外限られているな、ということ。であるならば、スキルどうのこうのを心配する前に、「使う場面」をやや強引かな?と感じられるぐらいでも作ってみようとトライすること。学校の授業やイベントではなく、「自分の使いたい場面で使ってみる」。これ案外大事です。

失敗というかうまくいかなかったことから学ぶことは大事。よく言われますが、自分で作った場面・機会って気づかないかもしれないけれど、随分集中力が違っているはず。例えば、「あれ?何で通じなかったの?R?L?の発音?」という原因追求であったり、文全体はほぼ聞けてないはずなのにとある単語を何故か耳が捉えて意味が解る→コミュニケーションがとれる→語彙増強の意欲湧く、とか。

要するに、ことばって単なるコミュニケーションツールってだけではないので、上達には練習が必要。できれば体(神経?)全体を使うような。あとこれは厳密には語学が上達したとは言わないのかもしれないけれど、1、2年かかるようなプロジェクト(仕事でも学業でも)を遂行するというような経験をすれば、あまり壁を感じずに言葉を使えるようにはなると思う。厳密な意味での語学力(語彙、発音、正しい使い方など)も軽んじず、とはいえ生きていく上で自然と使うものだから、というアバウトな理解などもうまくブレンドしながらやっていくのがいいのかな?と月並みながら考えるものです。

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