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人間を信用するマシン

そんなものが可能なのか?

かなり難しそう。

でも完全に不可能とは言えない。と私は思う。

マシンとは、基本的には人間が創るもの。

その設計に、「人間を信用する」という機能を装備しようとするなら、マシンを設計する人間が「人間を信用するとはどういうことか?」が具体的に記述できなければならないだろう。

人間を信用するとは?

人間の多面性を考えると、その多面な分だけの説明が要りそうだ。

直感的に、肌触りというか醸し出す雰囲気で信用するケース。

とある目的達成のために、証拠を積み上げて、信用度を合理的客観的に評価するケース。

信用できるできるできる、、、とおまじないをかけるケース。(知り合いにお金を貸してあげるときなんて、これに近いものもあるのでは?)

間違いやすさと冒険好き。これらは設計時に加味されていなければならないのでは?そうでないと、出来上がるマシンが「人間を信用する」とは言えないのではないか?

「人間を信用するマシン」がどんなものになるか?はイメージしにくいけど、「人間を信用していないマシン」は世に溢れている。

「人間を信用していないマシン」とは。「多面的な人間全部を考慮することは不可能なので、捕捉可能な部分だけ利用させていただいてます」ならまだいい方で、「人間??どーせろくなことせえへん(でけへん)ねやろ?俺(マシン)の言うこと聞いとけや」って風情のマシンもある。

面白いと思いません?

人間って。

マシンって人間ではないってことぐらいは理解しているはずなのに、コミュニケーションとろうとするんですよ。

どんなに無機的で高圧的であったとしても、「そんなん言わんと。。あんじょうやりましょうや。」ってアプローチしようとする。

そこにとある機能がある以上、設計者たちの意図とは無関係に、自分達なりに活用しようとする。活用できるものと信じている。

それって祈りなのか??

いや。壊れかけのラジオバンバン叩いて何とか聴こえるようにするとかだとそれに近いものを感じるけれど、まあそれも含めて、人間側の意図を伝えようとする。祈りよりは、期待しているアウトカムがもっと現実性を帯びている感じ。

この期待感。現実性が高い以上、無視はできないのでは?

期待値というのは確率計算ではじき出せる。つまり、絶対は無理でも、確率的分布の厚さ薄さで傾向を知ることはできる。

人間とマシンとの接続(「人間を信用するマシン」とはどんなものか?)を考えるとき、人間側で日常的に抱いている様々な期待をどう扱うか?というのはキーであるような気がしている。


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