古代人

古代まで遡るとさすがに遠すぎるのかもしれないけれど。。。

過去の人間の方が現代の自分たちよりも劣っていたかのような前提はどうか?と思うな。。。

多分多くの人々は「劣っていた」なんてことは思っていないだろう。

だが実質そのような前提に立ってしまっているということは起こり得る。

古代人とまでいかずとも、宗教改革以前の中世の人々とか。

「集団論理(律法)」で動いていたんだとしても、なんでそれでいいことにしていたのか?その事情は様々であるはずだ。個人主義だって何もないところから突然湧いて出たわけでもなし。勿論ルターとかカルヴァンとか、、、より時代が下って啓蒙思想家とかが理論的に説明したってのが大きいのだろうけれども、生まれながらに持たされている能力とかってのはそんなに違わないと思うのよね。。。現代人と。おっきく異なるのは当然のことながら社会環境とかあと自然もかな。

救済ってのもね。。。

言葉の都合ということもあるのかもしれないけれど。。。

誰が誰を??ってのがね。。。

もう誰もが個人を基点・起点に物事を考えるようになってしまったんだから、救えるのはあくまでも個々人。

まずそれをせずに他人を救えるようなジェスチャーは慎むべきだね。

結局自分で自分を救うってことが他者の救いにもなる。

そりゃ”個人”なんてものが現代の幻想にしか過ぎないんだから当たり前っちゃあ当り前。

でも他人から「アタシもアナタも繋がってるんですよ」なんて言われても納得できるはずがない。現に別々の個体だし。。エナジーを介して繋がっているとはいえ、”繋がり方”ってのは人それぞれだし、同じ人間同士でだって時と所が変わればそれに応じて違うものになるわけだし。一人一人で都度感じるしかない。

ともかく。

いかに長期間にわたって使われ続けられているからといっても、その単語でしか喋れない、ってのは問題だよね。

無駄な議論が多過ぎるよ。。。信仰義認と行為義認とか。。。

そもそも神さま信じているのかどうか?ってのが怪しいのに。。。「神が義と認める」とか言えてしまうという事実。。。

このようにして伝統ある宗教も、どんどんと個々人の諸事情により消費されていくとともに、歴史的な繋がりが見失われていくのでありました。。。


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