目的はない

というより全て

全て

全て

全て後付け


それが理解できない人間は

全員

傲慢

のそしりは免れ得ない


傲慢なんてのは実はまだまだ生温い表現で

神を冒涜している


目的なんてものがあるとするならそれを知っているのは神だけ


神神神神、、、、

世の中いろんな神さまがいるけど

目的なんてものがあるとするならそれを全て予めご存知の神さまというのは

この世のありとあらゆるものを存在せしめている

というか

私たち一人一人を含め

この世に存在するありとあらゆるものすべてに宿っている神さま

それがなければなにも現に存在はしていない、していなかったであろう

そういうもの


できれば

思考やら意思やら知性なるものを持っていると自称する人間という生き物には

皆に須らくたっぷりと時間が欲しい

ゆっくりとじっくりと考えることができるなら

まあ分かってくることだから

急がされていてはまず無理

つまり

現代というのは全てのものに宿る神なんてもんに気付かされるチャンスに巡り合えるような環境が全く整っていない時代

というか

「ゆっくり」とは正反対に駆け回らされる


望みが薄げに見えるのはそういうわけ


ところがどっこい

時間ってのは実はかなり伸び縮みする


焦ることなんてなにもない

じっくりとね

じっくりと

問いかけてみよう

全てのものに宿っている神のようなもの

というか

神みたいなもんが宿っている

ありとあらゆるものに対し

それらにふさわしいだけの

敬意を持つことができているかどうか?


ご立派気に聞こえる目的なんてものを語るのはそのあと。

別に語ってもいいけど

同時に敬意がなくちゃね。。。

多分

持続もしないと思うよ。

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