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カナダに渡った日本人 戦前、滋賀県出身者が一番多かったらしい まとめノート#1

戦前、日本からカナダへ渡った移民の出身地として、滋賀県が最も多いそうです。「彦根からカナダに渡った人がとても多いらしい」「日系移民の野球チームを題材にした映画があるらしい」といったことはなんとなく知っていましたが、詳しく知ろうということはなく。ただ、冒頭の事実を偶然知って、タイミングなのか、俄然関心がわいてきました。
時折調べて、分かったことを自分のメモがてらまとめてみようと思います。これからも余裕のある時に、時々調べて分かったことをまとめていきたいと思います。

1 論文 坂野鉄也(2019)「明治・大正期滋賀県の出移民が向かった場所とその目的」

著者の坂野さんは、滋賀大学 経済学部 准教授。

https://www.econ.shiga-u.ac.jp/ebr/Ronso-419banno.pdf

  • 1898 (明治31)年から1921(大正10)年の統計を対象に、明治・大正期の滋賀県からの出移民について、その渡航先と渡航目的について数量的側面をまとめたもの。

  • これまでの滋賀県の出移民史において結ばれてきた像とは異なる結果が得られた。

  • 滋賀県はカナダへの出移民が多く、第二次世界大戦前にはカナダ在留日本人のなかで滋賀県出身者がもっとも多い

  • 1892(明治25)年には、滋賀県を本籍とする海外在留者のうちカナダの在留者数がもっとも多い。また1898年以降も、1901年を除いてつねに100以上の旅券の渡航先となっている。

滋賀県を本籍 とする人々が海を渡るばあい、その多くがカナダに 向かっていたことがひとまず確認できる
  • 1878(明治11)年以降の、滋賀県からの出移民の最初の波はハワイ向けだった

  • 1892年にはすでに渡航先の変化が見られる。この年にはカナダの在留者数がもっとも多く、ハワイの22名を上まわる39名である。前年のカナダの在留者数が10名であることから大幅な増加が見られる。またカナダに次ぐのはアメリカ合州国の24名であり、ハワイから北米大陸へと渡航先が変化している

  • 目的を見ると、北米大陸が出稼渡航先として選ばれたこともわかる。

  • この時期では女性の在留者が占める割合は少なく、「出稼」の主体が男性によって担われていたことが明らかである。

  • ただし、ここまでの統計は、旅券下付数をもとに分析したものであり、あらかじめ朝鮮と中国を除外したものである。

  • 日本の植民地に組み込まれていった台湾、樺太、朝鮮、関東州、中国への渡航については旅券が不要となり、朝鮮や中国への渡航者数は、旅券下付数からは正確に把握できない。それらを考慮したばあい、カナダが滋賀県からの出移民先として突出した場所とはいえなくなる

  • また、旅券を下付されても、じっさいには渡航しなかった者を除くことができないこと等を理由として、渡航者の実数を表しているわけではないことも留意する必要がある。

  • さらに忘れてはならないのは、北海道の出移民である。塩出浩之が指摘したように「二〇世紀前半において北海道への移住は南樺太への移住と連続性を有しており、北海道を「国内」として例外視する認識は、戦後日本の国境を前提としない限り成り立たない」。実際に、県統計書において、北海道への移住者は植民地、外国への移住者と同様に、「移住民」という同じ表のなかで扱われている

  • 滋賀県からの移住者では、外国行よりも北海道行の方が多いという指摘もある。

  • 旅券下付数で把握できない北海道と植民地への渡航者数は無視することができない数値である。

  • 出移民の第二次ピークと考えられる1918(大正7)年時点で、北海道と朝鮮への移住者数の合計は「外国」への移住者総数を上まわっている。当該年次における北海道への移住者は815名、朝鮮へは532名で合わせると1,347名であり、「外国」への移住者は1,228名。

  • 非勢力圏のなかではカナダが優越していたとしても、勢力圏=植民地や北海道を含めた出移民を総体として論じるばあいに、カナダのみを特別視することはできない

  • 1916年から1920年のあいだで朝鮮、北海道への移住者数と比較してみると、その総数においては北海道がもっとも多く、単年次では移住者数の第二次ピークである1918年には朝鮮、北海道ともにカナダを上まわっており、北海道は1916年から1918年の3年間はいずれもカナダよりも多い。

  • 1898年から1911年までの北海道への移住者数とカナダへの旅券下付数の比較も併せて、(1912年から1915年までの比較データはないものの)明治・大正期において北海道にカナダよりも多い移民が向かったことが推定される。

  • 朝鮮への移住者も少なくない

  • 日露戦争後に日本がロシアから引きついだ中国大陸の租借地に関東都督府が置かれ、南満州鉄道とその附属地の支配をはじめ、その後の満洲国建国へとつながるなかで、中継地たる朝鮮への移住者が大幅に増える傾向にあった

  • カナダへは、1908(明治41)年にルミュー協約を結んで以来、出移民について制限が加えられていた。

ルミュー協約(ルミューきょうやく)
Lemieux Agreement
日本からカナダへの移民の制限を目的とする紳士協約。ヴァンクーヴァ暴動を契機として1907年に合意,翌年締結。日本政府が自主的にカナダ行き移民の種類を(1)再渡航者とその妻子,(2)家内使用人,(3)農業労働者,(4)契約移民に限り,そのうち(2)(3)は年間400名に制限するもの。日本,カナダ間の移民政策の根本的方針となる。23年および28年には人数制限を厳しくする改正がなされた。

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ルミュー協約」
  • カナダへの渡航を目指す旅券下付数は、1909年には落ちこんだものの、1910年には回復し、以降も高く推移する。これはルミュー協約において日本からの労働目的の移民を年間400人に制限したものの、再渡航、妻子などの呼寄はその制限の対象とならなかったためである。(ただし、1928年のルミュー協約の改訂によって、妻子を含めて150名への制限となった。)

  • これらの比較から明らかになるのはまず、滋賀県からの出移民がもっとも多いのがカナダではなく北海道であること、さらに韓国併合後、日本の中国大陸への拡大の足掛かりとされた朝鮮半島への移住者も相対的に増えていることである。

  • 滋賀県からカナダへの移民はまず、「バンクーバー港付近の製材所に勤め、やがて隣接するパウエル街で同胞を顧客とする商業・サービス業に転出する者が多かった」とされる。

  • 『新修 彦根市史』においても、「滋賀県人が製材会社の監督を専有するようになった」と記されている。

  • 北海道移住民の移住目的は、正確には把握できない。

  • 北海道と滋賀県とのあいだには、明治維新以前から特別な縁がある。近江から蝦夷地に渡り場所請負で活躍する商人もいた。彼らははやくも18世紀には「両浜組」と呼ばれる組合を組織して蝦夷地交易に従事している。その後も、商家が松前藩との結びつきを強めつつ、場所請負をおこなっている。

  • たとえば、藤野家は、明治維新以降も北海道を拠点に漁業、回漕業、商業、牧畜業、缶詰業、倉庫業を多角経営している。

  • 滋賀県からの出移民のもっとも多い北海道では、その渡航目的は農業が優越したように見える。しかし、商業従事者もいた。また、朝鮮などの植民地に目を向けると、商業従事者の渡航が顕著である。カナダでも当初は製材業に従事するものの、のちには商業・サービス業に転換していったことも指摘されている。移住民=農業従事者という見方はかならずしもあてはまらず、とりわけ植民地へは商業目的で渡航したものが多いと考えるべきであろう。

  • 滋賀県からの出移民は、ハワイ官約移民に始まり、カナダ移民で本格化したと考えられ、戦前のカナダ移民においてもっとも多いのが滋賀県出身者
    であったことから、カナダ移民中心に記述されてきた。しかし、数のうえでは北海道移民がもっとも多く、植民地とりわけ朝鮮への移民も少なくなかった

  • 滋賀県からの出移民は非勢力圏である外国よりも、北海道や植民地に渡ったこと、とりわけ植民地においては商業に従事することを目的としたことが分かる。

  • 出移民と農業とは結びつきやすいが、非勢力圏への移民でもっとも多いカナダでは移民たちは製材所で働き、のちには商業・サービス業に転換していく。また朝鮮や台湾に渡ったものの大半は商業従事者であったし、北海道と滋賀県とは商人による縁があった

  • 滋賀県からの出移民史は、商業目的の植民地・北海道への移住者という視点から問いなおされなければならない

2 雑感

カナダに渡った滋賀県出身者について今後も知ってみたいが、他方で北海道や植民地(朝鮮や台湾)への移住が軽視されることのないように留意する必要がある。
ことさらにカナダだけを取り上げるのは、実際の滋賀県出身者の移動という社会現象への理解を不正確なものとしてしまう。
その意味では、移民=農民といったイメージも同様だろう。
この点に留意したうえで、カナダ移民、そして北海道や植民地への移民についても知りたい
「北海道や植民地を「移民」の分析対象から切り離してきた」という研究史は、一国史観、国民国家史観のあらわれともいえる。「近代」という時代が、世の中を見るときに無意識にかけていた色眼鏡北海道や植民地は外国とは違うから分析の対象外だとするなかで、見落としてきたこと北海道や植民地はあたかも国内と同じように扱われてきたと見てしまう、現代を生きる私たちの目線。それを体感する意味でも、意味のある論考だと思った。

3 読んでみたい文献

  • 末永 國紀 『日系カナダ移民の社会史─ 太平洋を渡った近江商人の末裔』 ミネルヴァ書房、2010年

  • 福田 徹 「滋賀県における北米移民の空間分布」 、戸上 宗賢編著 『ジャパニーズ・アメリカン─移住から自立への歩み─』 ミネルヴァ書房、1986年



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