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ビルからも楽しめる浜松町のシンボル。より身近な存在としての文化財庭園を目指して。

「Hamamatsucho Life Magazine」第3回目のインタビュー先は、「旧芝離宮恩賜庭園」サービスセンター長の斎藤里絵さん。浜松町の憩いの場として親しまれ続けている庭園の魅力についてお話をお伺いしました。

歩くたびに景観が変わる?四季折々の変化を楽しむ都会のオアシス。

-まずは旧芝離宮の歴史などについて、お話を聞かせて頂けますか?
旧芝離宮恩賜庭園は、もともとは海面であった場所を埋め立て、江戸初期の1678年に大久保忠朝と言う大名が徳川家四代目の徳川家綱から拝領された地に作った庭園です。当時は庭園の東側が海で「汐入の池」と言う海水を取り入れた池でした。そのため、潮の干潮によって1日の中でも景観が変わる庭園でした。また、庭園内でもっとも高い「大山」という築山の頂上からは、昔は富士山や筑波山が見えたとも言われています。

構造としては中央に池を配置した回遊式庭園となっているのですが、池の周りが複雑なので、歩く場所によっても景観が変わる、魅力ある庭園になっています。1979年に国の名勝に指定されました。

 庭園の楽しみ方を丁寧に解説くださった斎藤さん

ー庭園の特徴や見どころを教えて下さい。
まずは石に注目していただきたいです。使われる場所や用途によって、非常に多様な石が使われているんです。
例えば池の護岸に並んでいる石は「富士の黒朴石」と言うゴツゴツとした黒い石です。一方で歩く人の足場になる飛び石には、小田原市の先の根府川付近で採石される「根府川石」などを使っています。この地の当主が小田原藩主であったことから、藩地の小田原から庭師を呼んで作庭し、「楽壽園」と名付けました。
あと、植生が構成する景観も楽しんでいただきたいです。先ほど申し上げた通り、「汐入の池」が海水の池であったことから、池の周りには塩水にも強い黒松が植わっています。この黒松が庭園の風景をより一層と引き締めているように感じますが、松のサイズが大きいと池や庭が小さく見えてしまうため、松を小さく育つよう手入れをしています。

また、江戸時代の人は中国に憧れがありました。中国の杭州にある西湖の堤を模して造った石造りの堤や、庭園内にある中島と言う山は、仙人が住む不老不死の山と言われている蓬莱山を表していたり、中国的な要素がたくさん含まれています。

雪見灯籠から見る庭園の風景

ー見どころたくさんあるんですね。写真を撮る時のおすすめのアングルなどはありますか?
池の西側の大きな雪見灯籠は写真スポットになっていますね。雪見灯籠から西湖の堤が写るような角度で撮っていただく方が多いかと思います。あとは、先ほどご紹介した大山から見る庭園全体を見渡したアングルや、周りの近代的な高層ビルと庭園との新旧が入り交ざった景観というのもお楽しみいただけるのかなと思います。

また、四季折々の変化を楽しんでいただくこともおすすめしたいですね。日本庭園なのでお花はあまり多くないのですが、春はソメイヨシノなどの桜が咲きます。御衣黄(ぎょいこう)という珍しい淡い緑色の桜もありますよ。庭園の入り口付近にある藤棚の景観も美しいと思いますし、秋にはもみじ林の紅葉も楽しめたりします。冬は、松の雪吊りやこも巻きや、雪が降るときにだけ楽しめる景観もあります。雪が降ったらぜひ水墨画のような景色を楽しんでいただきたいですね。

浜松町のお花見スポットにもなっている旧芝離宮

ーここまでの庭園を、常に整った状態で管理されるのも大変そうですよね?
雇用形態はさまざまですが、庭師は5名います。

ーえ!この規模の庭園を5名で対応されているんですか!?
はい、そうなんです。草刈りなど外部に委託している部分もあるのですが、約220本ある松の手入れは自前です。こういう技術は頭で覚えるものではなくて、手や体で覚える部分が大いにあって…今は、門松や雪吊りを作るための練習をして冬本番に備えている所です。

周辺のビルから楽しむ、浜松町ならではの「庭園ビュー」

ーどんな方に楽しんでいただきたいかなどの想いがあればお聞かせいただけますか?
庭園の入り口が歩道から奥まったところにあるので、ここに庭園があることを今までは認識してもらいにくかったんです。でも最近は庭園前にデッキが出来たので、「ここに庭園があったんだ」と気づいて下さる方もいらっしゃるのかなと。
今までは庭園に行くという目的を持っていらっしゃる方が多かったのですが、こういった形でこの庭園を知ってくださる方が増えて、ふらっと立ち寄っていただけたらいいなと思いますね。ランチタイムにお食事の場にしていただくのもおすすめです。

紅葉シーズンは庭園前のデッキから色とりどりの木々を見ることができる

ー都心の中で、これほど自然が多い場所は非常に貴重だと思いますが、斎藤さんご自身は浜松町という街の中で、旧芝離宮はどういう存在だと思いますか?
旧芝離宮は緑と自然が文化財庭園という形で残されている貴重な場所だと思いますし、一つのシンボルでもあるのかなと感じています。
周りのビルに行ってみると、こちらを楽しむ設えになっているところが多いですよね。例えばすぐ近くに島嶼会館さんという宿泊施設があるんですけど、そこの大浴場もやはり庭園向きになっていて。 
再開発の中でも「庭園を大切にしていこう」「庭園を活かしていこう」っていう声が高まっていて嬉しく感じます。都心で働く人達のオアシスのような存在であり続けたいですね。

「庭園を守る」から「お客さまへのサービス提供」の時代へ。

ーここから斎藤さんご自身についてもう少しお伺いさせてください。センター長になられてからはどれくらいになるのでしょうか?
2012年に今と同じく旧芝離宮のセンター長を務めていましたが、その後8年間はイギリスで生活をしていました。帰国後は東京都公園協会に再就職をして1年間は講座を担当する部署にいたのですが、また庭園で働きたくて、2021年にここへ戻って来ました。
ちなみに2012年の前はもう少し小さな向島百花園でセンター長をしていました。その庭園は住宅地にあり、近隣との関りがとても多い庭園だったんです。一方で、2012年旧芝離宮のセンター長を務めていた頃は、ここはどちらかというと地域から孤立していたように感じましたね。組織としても庭園のことだけやっていればいいという感じで。
けど、一度辞めて海外に行き、再度旧芝離宮に戻って来て驚いたのは地域との関りがとても多くなっていた点なんです。

ー地域との関係性が変わって見えたのですね。
はい。特に企業さんとの関係性が深くなったように感じました。今まで庭園だけ「点」だったものが庭園を含めて「面」になったというか。みんなが関わって盛り上げてくれるような雰囲気になりましたね。

また、内部の変化だけでなく、高層ビルが増えて周りの景色も大きく変化したと感じました。ポケモンセンターが移転してしまったのでポケモン目当てのお子さんが減ってしまったのですが、代わりに、劇団四季にいらしたかわいい衣装を着たお子さんを多く見るようになりました。

組織としての姿勢も大きく変わっているんです。私が入社した当時は庭園の管理事務所の名前は「旧芝離宮恩賜庭園管理所」。この庭園を綺麗に管理して保持するというのが当時の姿勢。それが2006年から指定管理者として庭園を管理するようになって、今の「サービスセンター」と言う呼び名になりました。色んなイベントを開催したり、お客様に楽しんでいただけるためのサービスをご提供するような姿勢になったんですね。とても保守的な印象であったものが、オープンな存在に変わって来ているように感じています。

ーイギリスにいらっしゃったということですが、何か印象的なエピソードなどはありますか?
一番印象に残っているのは、友人に「前庭に日本庭園を造りたいから相談にのってほしい」と言われたこと。日本料理屋さんに行くとちっちゃいスペースでも坪庭があるじゃないですか。日本が凄く大好きな方だったので、ああいうイメージで、日本庭園を身近に再現したかったんだと思います。

この相談にはとても驚きましたが、簡単に出来ることとして、大きな石や砂利を敷いて、毎日波紋を書いて楽しんで貰ったりしました。

再現された日本庭園

ー海外の方に日本の文化を生活に取り入れていただけるのは嬉しいことですよね。日本においては庭園文化というと少し敷居が高く感じてしまうので、新鮮ですね。
それだけ物の捉え方とか見え方が違うということなんでしょうね。
似たような話でいうと、ロンドンに世界的に有名な植物園があるんですけど、その中に日本庭園もあったんです。だけど全体的に中国っぽい雰囲気を感じたんですよね。その他の庭園内にある日本庭園を見ても、松の仕立てはやってはいるんですけど、良く観察すると日本の庭園の松の形とは全く違うんです。玉散らし剪定も雲のような形に刈るところを、お団子のようなまん丸い形に刈られていたりして。
同じように造っていても手の入れ方が違うと全く日本庭園じゃないんですよね。そういう誤解を解くためにも、外国の方に本物の日本庭園を知って頂く機会を作りたいなと改めて感じましたね。

地元の人から愛され、思い出に残る場所であり続けたい。

ー浜松町も再開発が進んでいますが、そうした中でも変わらないで欲しい点や、未来に向けた想いなどはありますか?
やはりこの庭園という敷地がこのまま守られていてほしいと思いますね。街の再開発との共存というか、この景観が風化されないようにしてほしいなと。同時に昔からある地元の小さな商店なども、大切に残して行って欲しいと思います。
ここの運営に携わっていると、4~50年浜松町に住んでる人が、「小さいころに遠足で旧芝離宮に来たんだよ」とか、「釣りをして管理所の人に怒られたんだよ」なんていうエピソードを教えてくれたりするんです。超高層マンションも増えて、浜松町に移り住んできた若い人がたくさんいらっしゃいますが、そういう方たちにもたくさん旧芝離宮にも遊びに来てもらえたらとても嬉しく思いますし、お子さんたちの思い出に残るような場所になったらいいなと思っています。

ーいつの世代からも愛される存在でありたいですよね。
日本庭園って敷居が高く感じられがちですよね。あまり行く場所じゃないという印象が強いかもしれないですが、もっと気軽に庭園に来て散策を楽しんで欲しいです。
旧芝離宮は花が多いわけではないので楽しみ方が難しいかもしれないけれど、松や石組、池の景観という日本庭園そのものの感じを楽しんで貰えたらと思います。

古い歴史を持つ芝大神宮や増上寺、東京のシンボルにもなっている東京タワー、ウォーターフロントのホテルをはじめ新しい商業施設などとも連携して、浜松町一体となって地域活性化に繋げて行けたら嬉しいです。

自身のご経験や今後の庭園の有り方、興味深いお話をたくさん聞かせてくださいました

取材:関根隼人(世界貿易センタービルディング)・中塚麻子(玉麻屋)/文:奥由香里(世界貿易センタ―ビルディング)/編集:坂本彩(玉麻屋)/撮影:yOU(河﨑夕子)

旧芝離宮恩賜公園
https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index029.html
〒105-0022 東京都港区海岸1丁目4−1


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