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気持ちのいい春の陽気

電車に乗っていて、ふと目をやると蟻がいる。どこから入ってきたのか、横長の椅子の、はじの壁にあたるところにいるのを目撃する。壁を歩いて、下に向かっていくのが見える。すごさま写真を撮ろうなんて思う自分がいる。すでに電車は動いていて、蟻のことはただ傍観している自分。

春の訪れを感じる。もう春なんだなと思う。今年になって初めて蟻を見た。もう蟻も地上に出てきているのだということを、今日知ったのだった。それはそれとして、昨日は、久しぶりに恩師から電話をもらった。

春にマタイ受難曲のコンサートに行きたいと思い、せっかくなら一緒に行きたいと思ってお誘いをしたのだった。絶対に予定的には大丈夫だろうと思っている一方で、どこかで都合が悪いのではないかという感じもしていた。

連絡を入れて、通常であればその日のうちか、もしくは次の日には返信を送ってくれる方である。だけど、今回は、連絡を待っても、数日連絡がなかった。どうしたのだろうと心配をしていたら、知らない番号から電話が入ったのだった。

何度もかかってきていた。その場では、手を話すことができない状態であったので、折り返して、最初声を聞いたときには、誰か仕事で付き合いのある方かと思った。よくよく耳を欹ててみると、先生であることがわかった。

正直、電話がかかってくるとは思っていなかった。メールに入れた電話番号は、確かに連絡先として機能する可能性については、送信をするときに頭には過ぎっていた、だけど、電話がかかってくるとは思っていなかった。

お誘いしたことに対しては、本当に喜んでいただけていたのだということがすぐにわかった。しかしながら、どうしても今は難しいご事情があるのだということを、そのことを伝えるために、お電話をしていただいたのだった。

先生は自分のことを本当に親身に心配していただいているのだということを、改めて感じることができた。何よりも、先生の声を久しぶりにお聞きすることができたことは本当に自分にとっては、何よりもよかった。

自分の中にある闇。表に出ていることよりも、全くもって深く重たいものを抱えてしまっている。そういう性質はどうも母親譲りのものであるということは、あるときに母から聞いたエピソードからも窺い知れる。

すべてがすべてそうしたことによるものではないと思う。だけど、親から子へ、そしてその子から次の世代へ、連鎖の鎖は存在しているのだということは、引き継がれるのだということは薄々感じている。

親がどういう人生を送ってきたか。どういう選択を行ってきて、今があるのか。そのことを見ていくと、いつの間にか自分も同じループの中に、入り込んでしまっているのだということがわかってくる。

親と同じ選択をしている以上は、何も変わらないで一生が終わってしまう。油断すると、ほっておくと、本当にそういうスパイラルの中に入り込んでしまう。性質上、そういう傾向があるということなだけだと思う。

だけど、このままではいけないのだということははっきりとしている。このままいくと、同じ道を歩むであろうことははっきりとしていて、その道ではない道を選ぶには、もうこのままを突き進むしかないのだと思う。

突き進んでいくしかないのだということを、突き進んでいく必要があるのだということを感じているのである。論理的な話では一切なく、ただこれは違うということがはっきりとしている。

もう頭打ちになってしまっているのだということを、そのことだけははっきりとしているのである。だからこそ、勇気を持って、思いのままに突き進んでいくこと。自分に足りないものを、1つ1つ取り組んで敷くしかない。

もっと生きた反応を、その場で素直に返すことができるようになりたい。どうも、自分に閉じこもって、返すことができずに時間がすぎるのを待っている自分がいる。自分が話したいと思うことはないのか。

もっと素直に、自分が話したいと思うことを人に聞いてもらうこと。しっかりと話したいことを、伝えるということの努力をすること。どこかで諦めていては、伝わることも伝われない。踏ん張りどころである。

この瞬間にも、踏ん張って、伝える努力をすること。努力することを試みすること。時間はかかっても、努力し続けることを、惜しんではいけない。コツコツと努力を惜しまず取り組むこと。

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