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本籍の住所から探る自分のルーツを探す旅

もう10年くらい前になりますが、山口県の周防大島を訪れました。ちょうど8月のお盆の時期で、連日とてもいい天気でした。広島まで新幹線で行き、そこで一泊して、次の日にレンタカーで移動。本籍の住所だけを頼りにとにかく進みます。電車とバスを乗り継げば行けるようでしたが、本数が少ない上に、明らかに自由が効かないのでやめました。

朝9時くらいに移動をはじめ周防大島へ。その後、その日のうちに萩まで移動して、そこでもう一泊しました。2泊3日くらいの弾丸の旅でした。どうして行こうと思ったのかというと、そんなに頻繁にはない住民票を取得したタイミングなどに目にする山口県という文字。でも両親は無関心でした。

本籍地のことは全く気にする様子がありませんでした。それが不思議でなりませんでした。父と母の実家は、北海道と宮崎で、北と南。まったく関係がなく、「なぜ山口県?」という感じでした。

この旅に行くよりずっと前のことですが、ある時に父親に聞くと、お墓はあるはずだけど、分骨して小さい時に一度だけ行ったことがあるとのことでした。父親は、小さい時のうっすらな記憶があるだけで、行ったことがあるのはその一回きりとのことでした。高台で見晴らしいい海の見える景色。

大学生になったある年、ふと「自分のルーツを探しに行ってみよう。」と思い立ちました。戸籍には山口の住所が書かれているのに、まったく知らない地であるということが気になり出して、その地に見てみたいと思いました。住所だけを頼りに、とにかく行ってみようと思うに至ったのです。

周防大島で最初に会った人たちは岩風呂に入っていました。人だかりがあったので、お寺の場所を聞くために尋ねました。そこにいた一人は、東京から帰省しているとのことで、よかったら東京でも会おうと、連絡先を交換しました。その人とは実際、東京でも会うことになります。

教えてもらったお寺に行って、住職の方に祖父の名前を伝え、過去帳をみてもらいましたが、該当する名前はありません。「ひょっとしたらもう1つのお寺にあるかもしれない。」と教えてもらい、もう1箇所のお寺を尋ねました。すると確かに過去帳に名前があり、お墓の場所もおおよその場所を教えてもらうことができました。

お寺を出て道端で何か探していると感じ取って声をかけてくれたおばあさん。お墓を探していると説明すると、うしろに近づいてきた人を見るなり、「あの人なら知っているかもしれない。」と声をかけて、同じく説明をすると「あるよ。私が手入れしている。という返答でした。

なんとその方は、遠い親戚にあたる方だったのです。お墓の場所を聞いて、見つかったらうちに寄りなと言ってくれました。高台の見晴らしのいい場所にお墓はありました。父親の記憶の通りの景色の場所にありました。そして、さっきのおばあさんのところにお邪魔すると、「捨てないようにと言われたものがある。」と出してくれたものが家系図でした。

ひいおじいちゃんの名前まで載っていて、父親の名前やおばあちゃんの名前もありました。その場で、写真を撮らせてもらい、いろいろなことが一度に起こっていて、興奮気味だったことを記憶しています。少し話をして、ちらし寿司までご馳走になって、その後、萩へと向かうことにしました。

本籍地の住所だけをたよりに、宿泊先もその日の当日に予約するような、行き当たりばったりな旅でしたが、その時の感じでいく場所を決めたり、今にして思うと、自分の感覚をたよりに過ごした旅でした。僕にとっての旅は、目的はあっても、それ以外のことは決めないで、その時その時で決めていくという感じが好きです。

日常でも、もっとそういう感じを使えるといいなと思います。ルーティン化していると、その安定の中で、そのことをたんたんとやってしまっていたり、キープしようとして、変化することを恐れていたり、自ら変えていくということをしていないことがよくあります。もっと日々をサバイバルに、更新していく感じで日常を作っていきたいです。

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