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資本主義社会の犠牲者は、若者かと思いきや、むしろ老人なのでは…?

最近、若者中心に、シェアだったり、自分を曝け出すことで社会資本に投資する人が増えている傾向を感じる。この前紹介した Zenly のようなアプリで、常にインターネットで繋がっていることで、ある意味満たされているのだと思う。

一方で、金銭が必要になる場面というのは、ある意味で相手を信用できないときに発生する。お金という尺度があるので、ある程度相手を信じずとも、取引を成立させることができる。たしかに貨幣は交換の際には便利なので、今後も同様の機能は存続すると思う。(ただ、キャピタルゲインを得るような使い方には、やはり疑問が残る。ここはまたの機会に『エンデの遺言』とかを取り上げてみよう) 

さて、表題の、資本主義の犠牲者はだれか。若者たちは、表面的には経済的に困っている人が増えていると言われる。でも、彼らは愛を拡大する、社会資本を重視すると言う、代替手段を創作しているように見える。

むしろ、今金を貯め込んでいる老人、社会システムを自分たちが作ってきたと思い込んでいる人たちの方が、心持としては辛いだろう。この人たち、資本主義に縛られるが故に、純粋な愛や信頼の世界に踏み込みにくくなっているのではないか。

金があればまだマシだが、ない場合は悲惨だ。老後2000万円問題にあんなに騒ぐのは、ある意味で資本主義に縛られていることの証左とも言える。日本国で感じる社会の閉塞感の答えが、なんとなくここらへんにある気がしてならないのだ。

このあたり、今後の対応策は、若者世代と老人(変化を嫌う人)でかなり変わってくるだろう。

僕は若者の動きを、もっと取り入れていきたいアラフォーだ。最近は、ドライな世界より、ウェットな世界の方が楽しそうに思っている自分がいる。

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