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襷に仲間たちの想いをのせて

「今年の女子には期待してないから。」

中学3年になった春、私が所属する陸上部の顧問は言った。
私の中学校は県内ではそこそこの強豪校だった。特に駅伝は強く、男女で全国大会出場を目指していた。県大会で1位になると全中駅伝の出場権が得られる。

私が1年生の時には男女とも全中駅伝に出場している。
しかし、私たちが3年生になった4月時点の女子チームは確かに全中出場を期待できるようなレベルではなかった。男子チームが歴代最強じゃないか?とまで言われていたから尚更レベルの低さが目立った。だから、面と向かって言われたのだ。「今年は期待していない」と。

いやいやなんでそんな事言うんだよと思ったけれど、安定して走れるエースは不在で確かにイマイチ決め手に欠けていたのは事実だった。その年に入学してくる1年生に女子チームの命運はかかっていた。その時点では、私は駅伝のレギュラーメンバーの位置にいた。

新入部員が入ってきた。その中には私の2つ下の妹も含まれていた。


秋になり、駅伝のシーズンになった。夏休みを終えて1年生の記録が伸びてきた。
私は妹に記録を越され、駅伝のレギュラーメンバーに入ることができなくなった。顧問が気の毒に思っているのが伝わってきて、余計に惨めだった。

でも、どうしても全中駅伝に行きたかった。「期待してないから」って言われても、行きたい気持ちは変わらなかった。最後の年に全中駅伝に行きたかった。
私は念願のレギュラーメンバーには入れず、3回目の応援メンバーになってしまったけれど。


県大会に向けて調整していたある日、女子キャプテンがマイコプラズマ肺炎になってしまった。順調に回復すればギリギリ県大会に間に合うが、いつも通り走れるかは微妙、というタイミングだった。

一瞬、その子が出れないなら、繰り上げで私が走れるかもしれないと頭によぎった。私は補欠の登録メンバーに入っていたから。私が走ることになれば全中駅伝はほぼほぼ出場できないが、最後の大会で走れるかもしれない。ずるいけれどそんなふうに思った私を、顧問は知っていたんじゃないかと思う。全中に行きたいけど、駅伝メンバーでも走りたい。しかし、そんな私の迷いも杞憂に終わった。

女子キャプテンは順調に回復し、出席停止の期間中から走り込みを始めた。そして、むしろいつもよりも調子いいくらいの状態で県大会当日を迎えた。

当日は、冷たい雨が降っていた。11月の初旬にある駅伝の県大会は毎年寒かったけれど、その年はとくに寒かった。
応援メンバーとしてトランシーバーを持ち、持ち場に向かった。

まさか全中駅伝に行けるなんて、誰も本気では思っていなかったと思う。全中駅伝にもちろん行きたかったけれど、スタート前の順位予想では私の中学は優勝候補に上がっていなかった。

今でも忘れられない。

1週間前までマイコプラズマ肺炎で出席停止だった女子キャプテンが、1位でタスキの中継地点に帰ってきたこと。
そのままアンカーまで1位のままゴールしたこと。

期待していないとまで言われた私たちが、全中駅伝出場を決めたこと。

あの時のような興奮はもう味わえないんじゃないかと思う。チームのみんなでめちゃくちゃ泣いた。


駅伝は、メンバーが走った記録のただの足し算ではない。タスキはただの布ではない。
タスキに一緒に努力してきた仲間たちの、想いをのせて走るから。

だから、奇跡が起きる。

1回くらい走ってみたかったなと今でも思うけれど、あのタスキには走れなかった私の悔しい気持ちもきちんとのっていたんじゃないかと思う。メンバーに入れなかった人たちの想いも。

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