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ネイティブ・ジャパニーズからの贈り物

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ネイティブ・ジャパニーズ探究家 亀山理子が東北の小さな浜からお届けするLIFEマガジンです。土地に根ざし、自然とともに暮らすネイティブ・ジャパニーズから教わった知恵や学び。自身の… もっと読む
運営しているクリエイター

記事一覧

#13 ネオ・ネイティブ・ジャパニーズのすすめ(後編)

 前回につづき、今回も浜の暮らしや地域に人々の生きる力に魅せられた1人の"ネオ・ネイティブ・ジャパニーズ"をご紹介したいと思います。  東京からクリエイター向けコワーキングスペースを設計するプロジェクトのため石巻を訪れ、期せずして蛤浜に立ち寄ったことで、経済指標では測ることのできない浜の豊さに魅了された建築デザイナーの野村大輔さん(dada株式会社 代表) 。  都市部だからできること、地方だからできることを丁寧に結びつけながら、みんながより豊かになる生き方・つながり方を創造

#12 ネオ・ネイティブ・ジャパニーズのすすめ(中編)

 前回の記事からつづいて、今回は、都市部から蛤浜に通う中でネイティブ・ジャパニーズの知恵にインスパイアされ、それぞれの分野の特技・興味を生かしながら次世代の豊かな生き方を目指している「ネオ・ネイティブ・ジャパニーズ」の一人・YUKI☆さんをご紹介します。 ITコンサルタント×猟師×里山づくり  東京在住のYUKI☆さんは、東北プロボノプロジェクト(プロボノとは:社会的・公共的な目的のために、職業上のスキルや経験を活かして取り組む社会貢献活動)をきっかけにかれこれ7年以上蛤

未来の生き方は限界集落に聞け

 宮城県石巻市の牡鹿半島に位置する蛤浜。私はここで夫と暮らしながら「浜の暮らしのはまぐり堂」というカフェを営んでいる。  蛤浜は住民わずか3世帯7人の小さな集落だ。住民構成は70代前後のご夫婦が2組、その下に夫を含めた40代が2人、そして30代半ばの私である。蛤浜を含むこの牡鹿半島部の浜々は3.11で大きな被害を受けた地域でもあり、震災後の人口流出は著しく、近隣の浜々でも高齢化は進む一方だ。    だが美しい海と山とに囲まれたこの浜に生きる人々と関わりを深める中で、私は「果

#10 浜のネイティブ・ジャパニーズ(後編)

  前回#9のお話:若者をはるかにしのぐ体力と、疲れ知らずの体の使い方を身につけている浜の大先輩たち。「年だからもう動けねぇなぁ」と言いながら、30代の私などとは比べ物にならないほどよく動き、手早く浜の仕事をこなして元気に笑う...そんなスーパーマンのような浜の先輩たちに憧れて、ひよっこの私は、遥か遠いその背中を追いかけています。  そんな浜の先輩たちから、私がもう一つ受け取ったもの。それは、自分で工夫して、自分の暮らしを作っていく、暮らしを手作りする力です。  「昔はそ

#9 浜のネイティブ・ジャパニーズ (中編)

 前回は、浜で暮らす人たちが常に海や山、草木や生き物の様子をよく見て、日々自然の変化を敏感に感じとりながら暮らしていることについて綴りました。  毎日の会話の中で、自然の変化が当たり前のように話題にのぼること。それは街での暮らしが長かった私にとっては、とても新鮮で、羨ましく、自分もそうありたいなあと思う暮らし方でした。  今回はもう一つ、私が浜で暮らすようになってとても驚いたことについて書こうと思います。  それは、浜に暮らす人たちの体力・気力、そして体の使い方についてです

#8 浜のネイティブ・ジャパニーズ(前編)

 私にとって旅は発見であった。私自身の発見であり、日本の発見であった。書物の中で得られないものを得た。−(中略)− 人の生活の場にはそこに百年の歴史があれば百年間の、百人の人が住めば百人の、それぞれの生活の歴史がひそんでいるはずである。そういうものをかぎわけて追求してゆくことによって、人は如何に生きて来たかを発見することがわかるばかりでなく、いま自分の立っている位置もおのずからわかって来る。  −(中略)−  私は日本という国はそのようにしてもう一度見直すべき国だと思う。国と

#7 希望をつなぐ(後編)

 #6で書いたような話し合いと準備を経て、いよいよ2021年11月、はまぐり堂にて、浜のお母さんたちと若者たちが交流する初めての体験ツアーが開催されました。  朝、浜に集合したツアー参加者の皆さんは、はまぐり堂オーナーの亀山と一緒にカゴ漁の体験からスタート。 私としょうこさんのスタッフ2名はお米を炊いたり味噌汁や魚のフライ、野菜のお惣菜を用意したりして、お昼ごはんの支度をします。  お昼近くになると、今回協力してくださる2人の浜出身のお母さんたちも到着。それぞれが作ってき

#6 希望をつなぐ(中編)

 前回#5では、結城登美雄先生のお話と、はまぐり堂の取り組みについて、地元のお父さん・お母さんたちと共有する機会をいただいたお話を書きました。それを通じて、みんなで未来の子どもたちへ"足元の宝もの"をつないでゆくために、世代を超えた協力の場を作っていこう、という取り組みがいよいよスタートしました。  2021年11月。取り組みの第一歩として、地元のお母さんたちと一緒に、はまぐり堂で体験ツアーを開催することになりました。  お母さんたちに季節の恵みを生かした家庭料理を持ち寄っ

#5 希望をつなぐ (前編)

 前回#3、#4でご紹介した、サステナブルデザイン工房さん主催の「石巻のもう一つの宝を見つける」をテーマとした地域の学習会。  私たちが初めて参加させていただいたその翌月の会では、ゲスト講師の結城登美雄先生から参加者の皆さんへ向けて、次のような提案をいただきました。 「これからの地域づくりを考えたときに、食べものをベースに置きながら、次の世代がやっていける、そんな方向も見据えて、みなさんが積み上げてきた経験と知恵と…いろんなものをぜひ、アドバイス、リレーさせていただければと

#4 足元の宝ものを見つける(後編)

 前回#3に記したとおり、私たちは2021年5月、「石巻のもうひとつの宝を探す」をテーマとする学習会(主催・サステナブルデザイン工房)に参加し、そこで東北の民俗研究家・結城登美雄先生との出会いがありました。  その際「ぜひ今後の学習会で、参加者の皆さんにもはまぐり堂の活動の話をしてもらえないか」とお声がけをいただき、次回の学習会に向けての話し合いも兼ねて、結城先生と運営スタッフの皆さんが、はまぐり堂に足を運んでくださいました。  結城先生が、ご自身が編纂した宮城の農山漁村

#3 足元の宝ものを見つける(前編)

 前回#2でご紹介した、学生時代に私が本を通じて大きな影響を受けた民俗研究家・結城登美雄先生。それから十数年の時を経た2021年5月、ひょんなご縁から、初めて結城先生ご本人とお会いするという、とても嬉しい機会をいただきました。  石巻でリサイクリエーション活動を行う「一般社団法人サステナブルデザイン工房」さんが主催する、地元の人たちのための学習会。そこに結城先生が講師としてお話に来られるのでぜひ参加してみませんか?と、知り合いの方から声をかけていただいたのがきっかけでした。

#2 食べることは生きること(後編)

 前回の#1では、「健やかに食べ、生きること」を求めてあらゆる食にトライした学生時代の私が「食の迷子」になった末、本を通じて江戸時代の食医・石塚左玄先生に出会ったことについて書きました。  今回はもう一人、私の食にまつわる探究に大きな影響を与えた東北の民俗研究家・結城登美雄先生の本との出会いについてお話しします。  結城先生は1945年山形生まれ。広告会社の仕事を経て、40代の終わりから東北各地の農山漁村を訪ね歩くフィールドワークを続けて、地域の人々の声を拾い集めながら地域

#1 食べることは生きること(前編)

 今回は、なぜ私がこんなにも長い間ずっと、ネイティブ・ジャパニーズという生き方に惹かれ、探究し続けてきたのかについて、少しお話ししたいと思います。  一つめのきっかけは、前回の「はじめに」の回でも触れたとおり、学生時代に文化人類学や民俗学に興味を持ち、先住民族の人々の生き方や知恵に興味を持ったことでした。  そしてもう一つの大きなきっかけは、学生時代に、「食」についても興味が出てきたことにあります。  当時はちょうど、子育ての終わった私の母が一念発起して専門学校に通い鍼灸

はじめに

 初めまして。ネイティブ・ジャパニーズ探究家・亀山理子です。  宮城県・牡鹿半島の蛤浜という浜に夫・亀山貴一(はまぐり堂代表理事・小漁師)とヤギたち、猫たちと暮らしています。はまぐり堂では、スタッフとして料理・お菓子・SNS広報などを担当しています。  このマガジンを読んでくださる方の中には、「そもそも"ネイティブ・ジャパニーズ"とはなんぞや?」と思われた方も多いのではないかと思います。  私が「ネイティブ・ジャパニーズ」という言葉を知ったきっかけは、作家・北山耕平さんの著