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私を動かしているのは私じゃないよ。体だよ。


普段から、「私」と「体」を別々に考えています。

たとえば、ベッドの角に足の小指をぶつけて「いてぇええ」となったとします。私はすぐに小指に話しかけるのです。

「痛かったねぇえ」
「氷持ってこようか?いらない?」
「さすってほしいの!よしよしよし」

小指は私の体の一部ではありますが、あくまで小指であって、私は全力で怪我をしたその小指に優しくしてあげたいのです。


相談の中で、自分と「体」は一緒なのか、別々なのかという話をよくします。自分と体は別々です。どう考えたって別々です。だって、体が100%私の言う事聞いてくれたことってないんだもの。

トイレの回数とかタイミングとか、生理の時期とか、免疫の強さとか、アドレナリンの量とか。それは私のコントロールから離れたところにあります。だから、私はそれが自分の希望通りにいきますようにと願いながら、体に優しくすることしかできない。


でも「体」は自分のものであり、どう扱ってもいいと思っている人が多い気がするのです。多くの人は、自分が「体」を疲れさせているのではなくて、自分がただ疲れているのだと思っていないでしょうか。自分がもっと頑張れば、その「体」は動くと思っていないでしょうか。

私たちは体が動いてくれているから頑張れるのに。


悔しい時に、「クソぉ!」とか言いながら膝を叩いたりとか、こぶしを壁にぶつけたりとかしていませんか?

風邪をひいた時に「こんな時に使えねぇ!」とか言いながら体を引きずって仕事をしていませんか?

自分が辛い時にお酒を浴びるように飲んで、体に八つ当たりしていませんか?


誰のおかげで目の前の世界を見て、その地を歩き、食物を取り入れて生きていくということができていると思っているのですか!と言いたくなるのです。


私は、「私」と「体」を別々に考えるようになってから、毎日感謝する日々です。「今日はたくさん歩いてくれてありがとう」とか「声が枯れるまで大きな声を出してくれてありがとう」とか「寒いのに風邪ひかないでくれてありがとう」とか。


「今日はあまり寝る時間がとれなくてごめんなさい」とか「お酒をたくさん飲んでしまいすみません」とか「ジャンクフードばかり食べて消化が大変ですよね…?」とか、謝ることも多い日々ですが(謝罪は敬語を使います)。

体と仲間になって、一緒に仕事に取り組みたいのです。
友人と同じように、体も大切にしたいのです。
自分の体を粗末に扱ってはいけない。
粗末に扱ってそっぽを向かれたら、私たちは人生を楽しめない。

そんなことを思う日々です。


ありがとうね

なんだかお説教みたいなnoteになってしまった。
2023年、あと少しで終わりですね。マガジン「洒洒落落」もあと少しで終了です。

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2023年のテーマは洒洒落落。物事にとらわれず、さっぱりと生きたい。そんなハマダのこだわりレスな記事はこちらに収めます。

ハマダユイ
ソーシャルワーカー11年目。大学教員をやりながら、相談室バオバブで個別相談を受けている。精神疾患にまつわる悩み事、家族のこと、人間関係のこと、仕事のこと…。いろんな人と一緒に作戦会議を開く毎日。

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