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感じるように聞くこと。

相談の仕事をする中で、「理解しようとしないでいい。感じるように聞くんだよ」ということを大切にしている。


ただ感じるだけでいい。これを始めてからすごく楽になった。なぜなら、世の中にはいろんな経験をした人がいて、その経験から来る感覚を理解しようとしても、私の経験値では想像しかできないことがたくさんあるとわかったから。


感じるように聞くと、空間が広がる感じがする。(写真:鎌倉にあるお寺)


相談者さんたちの話には、たくさんの説明がつかない出来事が含まれている。以前かかわっていた利用者さんの、「お母さんが生えている」話が私はすごく好きだった。



彼のお母さんは(私の理解では)もう昔に他界されているのだけど、彼はいつも「死んでないよ、そこにいるよ」と言う。


「お母さん?ああ、そこで木になってるよ。さっき水あげといたわ。」


と彼は言う。彼が「そこ」と表現する場所には、他の人が座っていたり、荷物が積まれていたりと、とにかく本当に「そこらへん」だった。

木になる母(イメージ)(写真:石垣島の浜辺)


最初は「どうしてそう感じるんですか?」「どうやって水あげるんですか?」と野暮なことを聞いたりもした。理解したかったのだと思う。自分が理解できるフィールドに話を持っていきたい気持ちもあった。


彼は「いやいやいや!だって、そうなんだから、そうでしょ?お母さん、そこから生えてんの。だから僕は、幸せなんだよ。」と答える。


生えている…!!!!


私は彼のこの話が好きだった。自分が苦しい時、よく彼に「今日はお母さんいかがですか?」と聞いた。「え?そこに生えてるよ?」と返事が来る。それだけで救われる気持ちだった。


ただそれは、私が勝手に「母親を愛し、愛されていた彼」という解釈をそこに加えて感動していただけであり、彼は常に「母はそこに生えている」「僕は幸せだ」と話すだけだった。


そのうち、私も彼の話に自分のストーリーをくっつけて聞くことはせず、「そこに生えている彼の母親」を感じるだけでいいのだと思うようになった。


そうすると、他の「私が体験したことのない話」も感じ取れるようになってきた。子ども時代に壮絶な体験をした人の話も、複雑な関係だった親の看取りをする人の話も、自分の考えが何者かにどんどん盗まれてしまう人の話も「理解しようとする」のではなく「感じるように聞く」ようになった。


感じるように聞いたから、良い相談になるということではない。そこはまだスタート地点。ただそこに、以前よりも力が抜けた私がいるというだけの話。


ヘロヘロな足跡をつけて進む(写真:屋久島の浜辺)

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対話のカケラ(マガジン)

バオバブやってます。











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