見出し画像

期待しているのは私だから

よく、「期待するのは相手の勝手」という言葉を使います。

人間関係で、誰かからの期待が苦しい時があります。「恋人だから週末は一緒に過ごすよね〜?」な期待とか、「親の言うことは聞くよね〜?」な期待。

他には「せっかく手伝ったんだから成果出すよね〜?」な期待とか、「私の後輩だったらここまではついてくるよね〜?」とか、「お前はもっといけるぜ〜」という期待。

疲れたけど休めないし断れない。「がっかりした」「傷ついた」「私のこと大事じゃないんだ」って言われたくないから、期待を振り切れない。そんな時に出てくる合言葉が「期待するのは相手の勝手」なのです。韻を踏んでいて良くないですか。

相手が期待を勝手にしているだけだから、そこにあなたが応える義務はないということを、一度冷静になって考えてみる時間を作ります。時には、相手は期待さえしていないけど、自分の中で勝手に期待されているマインドになり、しんどくなっている場合もあります。

そんな話をしている私ですが、自分自身もしっかり誰かに期待する人生を送っています。私の仕事は人とかかわる仕事。誰かが「良い方向に行くこと(私の主観)」について、期待せずにはいられないのです。

たとえば、

相談者さんが悩み事を解決(私の主観)できたらいいなとか。

学生が良い目標(私の主観)を持って学業や実習に取り組めたらいいなとか。

友人がいい人(私の主観)に巡り会えたらいいなとか。

これらの期待は、ただ持っているだけだったら問題はありませんが、時々困った事態を引き起こします。相談者さんが解決(同上)できなかった時や、学生が目標(同上)通りできなかった時や、友人がよくない人(同上)の話をした時に「いやいや!よくないYO!ダメだYO!」と言いたくなる事態です。

相手からしてみれば、私の主観や感情を押し付けられただけ。私にとっての良いことが相手にとって良いことであるとは限らない。違う場合がおおいにあると思っています。

この事態が起きた時、私はいつも振り返る時間を持ちます。この期待は誰の期待だ?相手はなぜ私から「よくないYO!」と言われそうになっているのだ?

そして「期待しているのは私だ」と気づくのです。誰かに期待した私は可愛い。でもちょっと(すごく?)大きなお世話。落ち着け。落ち着くのだ、自分よ。

そんな会話が頭の中で繰り広げられている私の日常です。

__________________
2023年のテーマは洒洒落落。物事にとらわれず、さっぱりと生きたい。そんなハマダのこだわりレスな記事はこちらに収めます。

人と関わりながら自分を大切にする方法を、ずーっと考えているマガジンはこちら。



ハマダユイ
ソーシャルワーカー11年目。大学教員をやりながら、相談室バオバブで個別相談を受けている。精神疾患にまつわる悩み事、家族のこと、人間関係のこと、仕事のこと…。いろんな人と一緒に作戦会議を開く毎日。

バオバブはこちら。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?