我々はみな、文化を創造する実践者だ
最近、ケネス・J・ガーゲンの「あなたへの社会構成主義」を読んでいます。
社会構成主義とは、私たちの心や文化、人間関係、障害などはすべて社会の中で構成されてきたと考えるものです。
わかりやすいのは障害です。発達障害って、目に見える障害ではない。社会の中で「こういう人や生きやすい」「こういう人は生きづらい」という枠組みが発生して、生きづらい方に分類されることです。
昔は発達障害という概念はなかった。でも、この概念が誕生した今、これに該当する人はたくさんいる。その人たちは「もともと障害がある」わけではないのです。社会が構成した障害の中に分類されたということですね。
障害だけではなく、私たちをとりまく全てのものは社会の中で構成されています。
言葉もそう。私たちは社会が決めた「机」とか「いす」をつかって「勉強」したり「仕事」したりするわけです。言葉がなければ、勉強や仕事の概念もないという考え方です。
そんなわけで(どんなわけで)本題です。
本の中に「我々はみな、文化を創造する実践者なのです」とありました。(p.248)
社会構成主義の「社会」とは、人の集まりでできているのです。その社会にある文化もまた、人があつまってつくられ、人によって常に更新されているのですよね。
なので、ソーシャルワーカーとしては、私たちが取り組む社会モデルが文化となり、社会に反映していくことを目指す。これはまさに社会構成主義的実践なのだと思います。
でも今回はそんな大きな話がしたいわけではなくて。
私が常々思うのは、家族も一つの社会であり、そこでは文化が更新されているということです。
家族の文化は多種多様です。
夫婦が一緒に寝る文化、別々に寝る文化。
朝ご飯を一緒に食べる文化、夜ご飯を一緒に食べる文化。
子どもの送り迎えをする文化、しない文化。
「ありがとう」をいっぱい伝える文化、伝えない文化。
「愛してる」をいっぱい伝える文化、伝えない文化。
選挙に一緒に行く文化、行かない文化。
本を読む文化、読まない文化。
感情について話し合う文化、話し合わない文化。
家族会議で決める文化、父母が決める文化。
男女の役割がある文化、ない文化。
泣いてもいい文化、泣かない文化。
なんでも話す文化、話さない文化。
お互いを大事にする文化、しない文化。
これらの文化は家族の構成員に受け継がれ、また別の家族の文化に影響を与えます。子どもが育って結婚した時に「うちの家では〜」とか言いながらその文化をシェアしたり捨てたりするわけです。
文化はそれぞれの構成員の心に影響します。つまりは、私たちは家族の中で文化をつくり、それが心に影響するわけです。
私は本を読みながら思ったのです。
私、文化をつくっている…!!!
そう思うと、丁寧に家族の文化をつくっていこうと思うのでした。社会は、それぞれの家族(文化)の集合体です。私が私の家族とともに、私の大事だと思う文化をつくる。それが社会につながっている。
ロマンチック。やっぱり社会と私はつながっているんだな。そんな気持ちの備忘録でした。
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2024年のテーマは、やめるまで楽しむこと。手放すことを恐れず、その瞬間までを楽しめばいい。そんなハマダのこだわり記事はこちらに収めます。
「ソーシャルワークひとりごと」にも収録
ハマダユイ
ソーシャルワーカー12年目。大学教員をやりながら、相談室バオバブで個別相談を受けている。精神疾患にまつわる悩み事、家族のこと、人間関係のこと、仕事のこと…。いろんな人と一緒に作戦会議を開く毎日。
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