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著名人の声に耳を澄ます~声は人を物語る~

人の声を聴くのが好きだ。
ボイストレーニング教室を開業して20年。老若男女、幅広くたくさんの人の声を聴いた。
膨大な音声が、私の中にインプットされている。
不思議なことに、出会った人の顔や名前は忘れてしまっても、一度聴き取った声は忘れない。
「どこかで聴いた声だ」とすぐに思い出す。
まぁ、出会った時のシチュエーションや顔や名前には結びつかないのだから、あまり役には立たない記憶力なのだけれど。
声は、私の中から消えない。忘れない。

声は、人の心と身体の状態を映し出す鏡」だと、私は思う。
話の内容よりも、声を「音」としてとらえると、そこには実に多くの情報が埋もれている。
丁寧に聴き取ると、何気なく発した音声から、歯や舌や唇、鼻やノド、アゴの状態、頭の位置や姿勢、呼吸、身体の不調などが読み取れたりもする。
さらに音声は、メンタルの状態にも強く影響を受ける。

「あれ? この人、元気そうに話しているけど何か悩んでいるのかな」
「勢いよく話しているけど、実は自信がないんだろうな」

そんな気づきはたぶん誰にでもあって、大抵、間違わない。
人間は身近な人の変化を、ノンバーバルコミュニケーション(身振りや声などの非言語コミュニケーション)で受け取っているからだ。

言葉では嘘を吐けても、声は嘘を吐けない。

だから私は、人の声を聴くのが好きなのだ。
それはけっして、誰かの真実を暴くのが目的じゃない。それだけが、その人の真実だとも思わないし、真実なんて他人にはわからない。
けれど自分自身のその音に触れた時、人はふっと息を吐いて力を抜く。
そして、静かになる。
私はそれを、人が「素」に戻る瞬間のように感じられるのだ。
「素」は柔らかい。あどけなくて無理がない。
私は、この「素」を、もっともっと大事にしたい。
自分の「素」も、他の人の「素」も同じように大切に。
だって「素」を雑に扱うと、とてつもなく生き辛くなるのを知っているから。

私は、人の声を聴く。
音や声は可視化できないから、感じるままに言葉に置き換えたりもする。
私の好き勝手な感じ方やイメージを、他の誰かと分かち合いたくて、ずっと以前、著名人の声を例にして「声色ききみみずきん」というタイトルでメルマガを発行した。
例えば、こんな感じ。

【中島みゆきさん】
中島みゆきさんの声を聴いている時、浮かんできたキーワードがある。
それは「日本」。それも「太古の日本」。
「昔風の日本人の声」というレベルではなく、私たちのDNAに刻み込まれたような音声。
私は、もちろん太古の日本人の声なんて知るはずもないのだが、どこかで聴き、なぜが知っているような気がするのだ。
なぜだろう…
あれこれと考えて、ふと思い浮かんだ。
あぁ、そうか。例えるなら、雅楽だ。あの音だ。宮廷儀式などで演奏される音楽。ひちりきや笙(しょう)などの、楽器の音。
大陸から伝来した音楽ということも含めて、みゆきさんの声には、日本古来の音のイメージがある。
そして、「儀式」や「祈り」というようなワードも浮かんでくる。
みゆきさんの音声の持つ特性、そして質が、その強烈なカリスマ性につながっているのだろうと思う。みゆきさんの声は、平行に拡がるけれど、上下があり、前後もある立体的な感じ。これ、何だか宗教的なエネルギーなんだろうな。パワーが素晴らしい。
それに、年齢を重ねるごとに色合いが豊かになってきている。これは、驚異的なこと。元々声帯周辺の筋肉の伸縮が良い人なのだろうけれど、歌うための身体づくりやトレーニングを積み重ねているのが伝わって来る。

【松任谷由実さん】
ユーミンこと松任谷由実さん。強烈なカリスマ性、超個性的ということでいえば、中島みゆきさんと松任谷由実さんは双璧だ。みゆきさんの声が雅楽なら、ユーミンの声はもっと土着性を感じる。
宮廷音楽ではなく、民謡、民俗音楽の中に存在する声。田楽やお神楽のイメージ。エネルギーの方向として例えるなら、立体ではなくどこまでも平行に拡がって行く感じ。
みゆきさんもユーミンも、何となく巫女的な要素が強い。そしてきっと、おふたりとも、ご自分の役目をかなり明確に意識されているような気がする。

【林修さん】
東進ハイスクール講師の林先生。
林先生の特徴は、口元。
話す時に唇が、前に突き出している。甘えん坊さんの口。そして、自己主張の強い口。
人間は、伝えたいことがある時や相手に受け止めて欲しい時、口角の力が抜けて唇が前に突き出て、ラッパの先のベルのような形になる。その方が、声が前に出やすいことを本能的に知っているから。無意識でいても、自然に唇が前に出てしまう。
林先生の口は、伝えたくて、伝えたくて仕方がない口。講師として、タレントとして、まさに伝える人の口の形と動きをしている。

けれど、本来は内向的な人なのではないかな。エネルギーが内側に向いている気がする。一対多の関係で話している、 つまり講義形式で話している時は、 声の押し出しが強く一語一語はっきりと発しているし、リズムや間も良い。ところが、一対一や少人数で会話をする時は、途端に声が受け身になり、音量もエネルギーも極端に下がる。別人みたい。使い分けておられるのだろうけれど、頭が良くて押し出しの強い人と、受け身で繊細な人が林先生の中に共存している。

【池上彰さん】
元NHK社会部の記者である、おなじみ 池上彰さん。70代。
冠番組や特別番組での分かりやすいニュース解説は、他のキャスターの追従を許さない。
池上さんは、声が良い。サクッとしていて、肌触りが良く、とても聴き心地の良い声。一時期、奥歯からの息漏れや、滑舌が少しゆるくなられた感じもあったけれど、治療されたみたい。今はさほど気にならず、鋭い切れ味は継続中。さすが。
池上さんの場合、取材対象にかなり辛辣な言葉をぶつけても、威圧的や暴力的にならないのは、その声に軽やかさがあるからなのだろうと思う。
池上さんも、伝える時に口角がゆるんで唇が前に出る。林先生同様、やはり伝える人の口の動きだ。
林先生の声を柔らかい布地だとすると、池上さんの声は、やや金属的。
メタリックな感触かな。少し高めで、若干乾いた感じのする声が、人としての親しみやすさにもつながっている。物知りで切れ者なんだけれど、存外気さくに話せる親戚の おじちゃん。それが、池上さんの持ち味なのだと思う。

【竹野内豊さん】
竹野内豊さんの声を一言で表すと、キーワードは「包容力」。俳優さんなのに、押し出しはそれほど強くなく、ふんわりした「受け」の声だ。かといって、素の自分をひたすら隠すとか、感情を押し殺した冷たい声ではない。低音だけど、軽くて気さくだし、やわらかい。お茶目でもある。そして、少しこもり気味で、鼻にかかった声が、最高に色気を感じさせる。
滑舌はちょっと甘めなのだけれど、そこが、愛嬌も醸し出しているので、コメディタッチの演技もはまる。モテないはずがない。
そして、かなりシャイな人だとお見受けする。自分の「素」を出すことが苦手みたいだ。役の力を借りて、自己表現をされてきた方なのかもしれない。
だが、若い頃の声よりも、年齢を重ねるにつれて声が吹っ切れてくる。
竹野内さんは「一対一」の声。本質的に受容的なエネルギーのある声なので、「私だけのあなた」と思わせてくれる。

【福山雅治さん】
福山雅治さんの声は、密度が濃い。圧が強い。情報量が多い。首・胸・背中などにとても豊かな振動が感じられる。これは、骨導音と言って声帯で作られた音声が身体に共鳴し、ボディの部分が共鳴板のような役割をして振動するから。歌手なので、ステージに立って大勢の人に向かって表現することで培われた声だ。
福山さんは、大音響の中でライブを行う。
もしかしたら… もしかしたらだけど、福山さんは、高音が聴き取りにくくなっているのかもしれない。あくまでも推測だけど、しゃべり声や、歌っている時の裏声を聴くと何となく、高音が聴き取りにくいのかなと感じる。

福山さんは、口角の力を抜き、唇を若干前に出して話す。正直な人、嘘のつけない人だということが、見て取れる。あと、とても現実的な人なのかな。リアリストで気遣いもあって、素直な人だけど、心はあまり開いていない感じ。さばさばと、明るくお話はされているけれど、声の中に、頑なさ、強烈な孤独さも感じる。
でもそれは、人前で表現し、大きい仕事を続けている人なら当然あるのだろうな。この陰影が、歌声に「切なさ」を与えているのだと思う。
福山さんの声は「一対多」。竹野内さんが「私だけの内緒のアナタ」なら、福山さんは「俺たちの孤高のアニキ」だ。
年齢を重ねて、穏やかさが加わった福山さんの声。
次は、コメディーが観たいかも。

【安倍晋三元首相】
第96代内閣総理大臣。
かなり、甲高い声。それに、とても早口。脳を高速で回転させながら、一気にしゃべる。頭が切れる人なんだろうなと思う。相手に、突っ込むスキを与えない。理論武装をしている人の、特徴かも。理論武装している上に、かなり好戦的。好きなんだろうなと思う。闘うのが。
安倍さんの声を聴いていると、「政治」とは「闘うこと」なのだと、再認識させられる。だって声が、常に「何か」と闘っている。
ただ、いささか説得力が欠けるように感じられるのは、奥歯のあたりの「難」のせいかも。奥歯周辺から息漏れがあり、舌の筋肉の緊張も強いので、滑舌がかなり甘くなっている。声が平べったい。

カリスマ性のあるリーダーの声って、少しハスキーで、スキがあるくらいがちょうど良いように思う。その隙間に大衆が飛び込んできて、「オラが村の先生」を、頼ったり応援したくなったりするのだ。 
ところが、あまりにもスキだらけだと、信頼性に欠ける。表面上はニコヤカでも、裏では何をしているのかわからない、マフィアのボスのような存在感になるし、底が浅く感じられる場合もある。当然、失言も多くなるだろうし。けれど、舞台俳優のように朗々とした美声で国会答弁をされても、これもまた嘘臭い。鳩山さんのように、柔らかく優しい声で「私を信じて!」なんて言われても、行動力がなさそうにも感じる。

人の心を掌握し、まい進するリーダーの声って、難しい。国会答弁を聴いていても、政治家らしい良い声の人が、なかなか見つからない。でもそもそも、政治家らしい良い声ってどんな声なんだろう。ちゃんと考えてみなければ。

さて、この記事を書いたのが6年前。
その後、安倍さんは凶弾に倒れ帰らぬ人となった。

そして今回の都知事選。
闘う人たちの声が、さまざまなメディアから発せられ、たくさんの情報が目や耳に飛び込んで来た。
アンチの声もシンパの声も凄まじい数だ。
結果は出た。
今後の展開はこれから見届けるとして、政策とは別に候補者の音声に耳を澄ましてみた。

【小池百合子さん】
口が横にひろがり、いつも口角が上っている。
私は、ボイストレーナーの勉強をしている時、「口角の上がった営業マンからはモノを買うな。本当のことを語っていないから」と言われた。
つまり、人は本音を語ろうとするとき、口角の力が緩み唇の先がラッパのベルのように前に出てくるけれど、口角が上っている時は、建前を話している時だというのだ。
なるほど… そう思ってみると、かなり建前の人だとお見受けする。けれど今回の選挙戦では、かなり追い詰められてしまったように思う。選挙戦中盤から、口角が下がり、かなり必死に有権者に訴えておられた。
若い頃に比べて、声の質は、かなり低く重く密になられた。私たちの声は、加齢や体型、骨密度やホルモンバランスの変化などにも影響を受けるけれど、小池さんの声はそれだけでなく、政治家として、多くの人の前で話し続け練り上げられた結果の声だ。けれど、甘え上手なお嬢様の声の質はまだしっかりと残っているような気がする。人を巻き込む声、人を取り込む声だ。

【蓮舫さんの声】
小池さんに比べると、とても庶民的な声をしておられる。学校のPTAとか、地元の世話役の中にいてもカチッとはまるような声。この方も口角が上っている。でも政治家はそういう仕事なのかもしれないなとも思う。
昭和風の言い回しをすると、蓮舫さんは下町のおきゃんなお姉さん。明るくてさばさばカラリとしていて、とっても頼りになる。けれど、前へ前へのエネルギーが強いので、ちょっと怖い気もするなぁ。まぁ当たり前か。政治家だし、選挙だし。
子育てで苦しんでいる若い世代にとって、この人から「大丈夫、何とかするから」と言われると、本当に何とかしてくれそうな安心感もある。
ご近所の頼れる人の雰囲気が声の中にあるから。
けれど、より大きな世界の首長となると、その声の硬さがぎゅっと小さく感じられて、余白がない感じが気になったりもする。わけのわからない余白が、政治家には必要なのかもしれないから。

【石丸伸二さん】
安芸高田市の市長時代からずっとYouTubeで観ていて、あぁ、こういう若い人が出て来たのかとワクワクした。声に含みがない。スッキリしている。言い換えると政治家の声じゃない、気がする。
この人に店頭販売かなんかで商品をおススメされたら、買うつもりがなくても買ってしまいそうだ。人懐こさもあるし、この人を喜ばせたくて、きっと予算よりもちょっと高めの物を買ってしまうのだ、私のような人間は。
リーダーとしてついて行きたいというより、応援したい、そんな気持ちにさせる声なのかもしれない。でもこの感じは、人の前に立つ人には必要不可欠な要素だとも思う。
アゴや首が細くて、唇が薄いので身体全体を使っていても軽くてしなやかな声になるのだけれど、そういう音声が政治家として受け入れられないという人は一定数いると思う。
でもまだまだ若い。これからの経験が声に深味や奥行をもたらすと、きっと面白いことをしてくれそうな気がする。

「声色ききみみずきん」は、こんなことをつらつらと書いてきた。
声に「良い声」や「悪い声」はない。その人の「素」が見え隠れするだけだ。
嘘を吐けない声をつかって、自分や人に嘘を吐いていると、後で強烈なしっぺ返しを食らったりする。60代にもなると、そんな人を何人もみたし、自分も手痛い経験をした。
今は、無駄な抵抗は体力的にもできなくなったし、出来るだけ正直にいることが、実は一番心地良いことにも気づけるようになった。
多少大人にはなれたのだ。
あとはひたすら、楽しく声を聴き取り、親切な声を目指して生きたいと思っている。

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