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花束はもういいかな

特に何もすることがない日。

母さんが「糖分補給」と作ってくれた熱々のカフェオレを飲む。自分磨きの一環として新しく作った眼鏡が、そいつの蒸気で曇る。

なんてことをしている私から、昨日の余韻が消えない。

特別何かをしたわけではない。ただ1つ、映画を見てきた。

私は決して映画をたくさん見る人ではない。

心底内容に惹かれたり、好きだったドラマの続編などであれば話は別だ。大半の作品が2時間程ある映画において、前半で飽きてしまったり、内容に追いつけなくなってしまえば、後半どんな顔をしていればいいかわからない。そういう時に限って、睡魔は私と交流しようとする。

故に、あまり映画は見ない。それでも、昨日はいい映画を見たなと心から思えた。きっとその映画は多くの人々に新しい考えを与えるのだろう、見終えてからそう思った。同時に、それについて何か書きたくもなった(注意:ネタばれあり)

滅多に涙を流さないのに、ナトリウム多めの水分が目から出たことに驚く自分もいるもんで。涙脆くなったのは歳のせいか誰かのせいか。

てなわけで、こんにちはカサイです。お元気ですか。

花束のような恋をした

「これから見に行く予定!」という人は読むか読まないかしっかり考えてください。仮に読んだとしても、見る価値はあると思います。

まず、見ない予定の方へあらすじから。

東京・京王線の明大前駅で終電を逃したことから偶然に出会った 山音やまね麦むぎ (菅田将暉)と 八谷はちや絹きぬ (有村架純)。好きな音楽や映画が嘘みたいに一緒で、あっという間に恋に落ちた麦と絹は、大学を卒業してフリーターをしながら同棲を始める。近所にお気に入りのパン屋を見つけて、拾った猫に二人で名前をつけて、渋谷パルコが閉店しても、スマスマが最終回を迎えても、日々の現状維持を目標に二人は就職活動を続けるが…。まばゆいほどの煌めきと、胸を締め付ける切なさに包まれた〈恋する月日のすべて〉を、唯一無二の言葉で紡ぐ忘れられない5年間。最高峰のスタッフとキャストが贈る、不滅のラブストーリー誕生!
──これはきっと、私たちの物語。

もっと詳しく知りたい方は上の公式サイト、又は劇場へ。

始まり(?)のはなし

「始まりは、終わりの始まり」

こんな言葉があった。こんな言葉で、作品は始まった。

そりゃそうだ、始まりがなければ終わりなんてないしって気持ちが半分。もう半分は、恐い言葉だなと感じた。

誰でも、誰かに恋愛感情を抱いて恋が実れば、その恋に始まりが来れば、終わりなんて考えないだろうし、ずっと一緒にいるんだろうって思うのが普通だろう。映画の中の2人だって、ずっと一緒にいるって最初は言っていた。もし終わりを考えているのであれば、それはきっと恋ではない。

どうせ始まるなら、終わりはどちらかが逝く時がいいし、寿命には抗えないのだから、その終わりだけは仕方ないと思える。私はどうせなら、それが良いとも思う。

この言葉は、恐い。恋愛感情を抱いても、始めるのが怖くなる人が出てきそうだとも思った。

幸いにも私がこの映画を見たのは付き合っている人ではないし、好意を抱いている人でもない。周りにはカップルが沢山いた。彼らは何を思いながら見ていたのだろう。

「いい映画だったね」と終わってから会話でも交わすのか。「いつか冷めるのかも」と自分自身を疑うのか。さっきの言葉に何か思うのか。

いや、何も思わないのかもしれない。ただの良い映画で終わるのかもしれない。こう考えてしまうのは私の性格が悪いからなのか、それとも私の心情によるものなのか。

でも、終わりって必要なんだとも思う。

最近、1つある終わりを迎えた。終わりがなければ気付けないことなんて無数にあるのだと、思った。何が正解かわからないけど。

齟齬

映画内では終電を逃したことで出会った男女。偶然サブカルの趣味がこれほどまでにと一致し、意気投合して互いに惹かれあった男女。

サブカルの作品から、作者から、靴から、ほぼ全てが重なり、これ以上の相手はいない、という関係の2人だった。これは流石に映画だからできることだなとは思ったけど、とりあえず順調に見えた。

それでも、2人の考えだとか価値観は齟齬を露わにする。これがただの映画じゃないというか、リアルなカップルにちゃんと起こる、起こり得る事象を再現している気がした。

私は今大学生で、いずれ就活を迎える。本当に映画のような出来事や感情は巻き起こるのか。

それに加え私が経験したことのあるモノに似る部分があって、いやありすぎて。だからこそこの映画に対する想いもそれなりにあるんだと思う。

そりゃ、齟齬なんて起こるだろう。意見の、価値観の食い違いなんてどの男女を取り上げても起こるだろう。だったら今現在世界中で夫婦をしている2人は意見も考えも価値観も全く一緒なのか。いや、あるわけがない。

じゃあ、どう乗り越えればいいんだろう。それが分からない。

映画内の2人があの時どうしていたら、関係が壊れなかったのか。私にその場面がやってきたらどうしたらいいのか。

運命だとか、縁がなかったなんて言葉で済ませてはどうも納得しきれないし、私が現実で仮にも恋愛が出来たなら、これを分からないと終わりを恐れる気がする。

ハイキューに続いて、アニメだけでなく映画さえも、私たちに新しい考えを与えてくれる。

好きとは

好きって何だろうと思った。なんで冷めるのだろうとも思った。

一目惚れって概念があまりわかんないけど一応存在するんだろうし、顔が見えない状況で言葉じゃなくて文字を交わすだけで気が合うように思えば好きかもって思うんだろうし。

現代ではSNSで四六時中繋がっていられる。声が聞きたくなれば電話で聞けることもできる。でもだからこそ不安が生まれる事もあるんだろう。

そんなんだったら、昔の方が良かった。SNSをやめればいいんだろうけど、そんなこと今の時代できないし。

映画の主題歌、Awesome City Clubさんの『勿忘』にも

「何かを求めれば何かがこぼれ落ちてく」

って書いてあるし、ね。

相手の全てを知ってから実を結ぶなんて無理なんだろうけど、相手の知らないとこが多すぎる中で、映画の2人みたく恋愛するなんて私には無理だとも思った。

どうせなら、全部知って、それも好きになって冷めたくない、けどな皆さんはどうなんだ。

終わり

この記事も始めたんだから終わりを迎えなきゃならない。書いてる途中であれ、なに書いてるんだっけって、でも書くの楽しかった。

映画でこんなに考えさせられたのはいつぶりだろう。多分、『あの頃君を追いかけた』以来。
もっと映画に触れてもいいかも、せっかくNetflixに入ってるし。恋愛も、コメディも、ピクサー以外のディズニーとかにも。

私にとっての映画の中のイヤホンは、タイピング練習をすることかもしれないし、任天堂Switchの太鼓の達人かもしれない。

これからも思い煩うことはあるんだろうけど、いいんだ、それでも。どういう形か知らないけど、いつか変わる。

2014年のブラジルW杯で、ドイツに1-7で負けたブラジルより辛いことなんてない、って絹さんが言ってたし、ね。

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