雑記20/07/17金 刺身食ったユーチューバー、一転、コロナにかかったユーチューバーに、ニュースバリューとそこに用意されている誘導

 

へずまりゅう


スーパーマーケットで会計前のお刺身を食べ、その模様を撮影してYouTubeにアップしていたYouTuberが逮捕された。
実に、馬鹿々々しい話である。
このニュースが取りざたされていたのは5日ほど前で、逮捕は11日だったらしい。

ところが、昨日あたりから潮目が大きく変わって、そのYouTuberが新型コロナウイルスに感染していたことが明らかになった。逮捕した警察署の職員にも陽性反応が出ているというのである。
(※このへんの時系列は、また別日に書く)


しかしまったく、これだから馬鹿は始末に負えない。

レジに殺菌作用があるというのは社会人の常識であり、それを通さず会計前に生の魚を食えば、コロナぐらい感染して当たり前なのである。



なんてことを書きたかったのではなくて。
まず、コロナ陽性報道が出る前に思っていたのは以下のようなことであった。全然知らないおじさんのツイッターを偶然見る機会があったのだが、そのおじさんはYahoo!ニュースのこの事件を貼りつけて

「馬鹿過ぎる」

と書いていた。

そこに、妙な違和感を感じたのである。たった一言だから、ではない。いくら犯罪者でも馬鹿呼ばわりはいけない、ということでもない。
ただの堂々巡りではないか? と思ったからだ。

まず、ニュースというものが、なんでニュースになるのか、という話である。

「ニュース」になるには、「ニュースバリュー」(報道に値すると認められる価値)がなければならない。

そしておそらく、この
「YouTuber、会計前の刺身を食って逮捕」

という「ニュース」

「ニュースバリュー」は、

「またYouTuberが馬鹿やらかして」である。


「馬鹿じゃねえか」と思えるに十分な内容だったので、ニュースになった。
それを見て「馬鹿過ぎる」と、コメントしたおじさん。
堂々巡りなのだ。


だから冒頭に「実に 馬鹿々々しい話である」って書いたのは、わざと、なんですけど。


たとえば、この犯人がYouTuberでなかったらどうか。

「水族館職員、会計前の刺身を食って逮捕」

魚が、好きなのかな? 嫌いなのかな・・・?
と思いこそすれ、全国ニュースには程遠い。

「駐日コンゴ大使館職員、会計前の刺身を食って逮捕」

やはり、どう受け止めていいかわからない組み合わせであろう。

(※7月19日追記 ユーチューバーにおける「影響力」を、まったく書いていませんでした。登録者数の多い人であれば、その行動に扇動される人が出ないように報道する、という説明はあります)


「YouTuber」という言葉には現在(…少なくとも全国報道、大手新聞といった”若くない”メディアにおいて?…)「バカ」が内包されていると見ていいと思う。
YouTuberがいいことをするより、悪いことをしたほうがニュースになる。
それは「わかりやすい」からだ。「期待に応えている」からだ。

だからきっと、

「YouTuber、被災地へボランティアで駆けつける」

よりも、

「YouTuber、甲子園の土盗む 『ポインセチアを育てたかった』」

のほうが、報道されやすいのである。こんな事件はないが。


ニュースになるのは公共性があるからだ、という観点からみれば、

「昨今、一部のYouTuberはウケを狙って犯罪にもなりかねない迷惑な動画を撮影しています。我々もいつ迷惑を被るかわかりません。気を付けなければいけませんね」

「どうしてこんなことをするのでしょう?」「自己顕示欲、そして金銭目当てでしょう」「広告収入は過激な動画には入らないと聞きましたが」「それでも有名になればいろんなお声がかかるのです」「怖いですねえ」

「まさしく、現代の闇といえましょう」



iPhoneの「ニュース」欄のCNNニュースはどう思えばいい


iPhoneのホーム画面で、左にスライドすると「予定」や「天気」といった便利メニューが出る。その中に「NEWS」というのもあり、報道各社のトピックが表示される。
この表示が、使用者に合わせてカスタマイズされているのか、また表示されるトピックがいかに選ばれているのか(アクセス数上位とか、サイトが選んでいるのかとか)を、わたしは知らない。

だがいつも気になるのは、わたしのiPhoneで、CNNニュースが表示してくるトピックである。

大体「ひとが、驚くような死に方をした」ニュース。

たとえば、


といって、全然思い出せなかったのでいまCNNの日本語サイトを見てみると、例えばこんなニュースがある。

「初挑戦のスカイダイブで事故、18歳女性とインストラクター死亡 米ジョージア州」

インストラクターが後ろにくっつく「タンデム」方式で、パラシュートがうまく開かず、二人とも亡くなったのだそうだ。痛ましい話だ。なのだが・・・

なぜこれを報道するのかと考えれば・・・わたしは、これが

「面白いから」だとしか、思えない。

笑える、という意味ではない。ここから「ニュースバリュー」を見出すに、これ公共性とかじゃないだろう、と思うのだ。

高校卒業したての、若い女性が、スカイダイブに初挑戦し、極めて稀な事故で亡くなった。

逆に言えば、人生の節目でなく、若くもなく、よくある交通事故であれば、報道はされない。
命を尊ぶための報道、ではない。珍しくて、ドラマチックで、そしてつまり「面白い」から報道するのである。

海の向こうからわざわざ届く、「珍しい死にかた」のニュース。

これを、不思議な気持ちで見ている。



2016年に、フロリダのディズニーワールド(ランドとどう違うのかはよく知らない)で、湖にワニが現れ2歳の男の子を引きずり込んだ事件があった。男の子は水死で発見された。

これを聞いた時も、「なんて思えばいいの?」と思ったのである。

どんな教訓を引き出せば、何を学べばいいのか?


このニュースには、わかりやすい感情のはけ口すらもない。



安倍晋三という「ニュースバリューのある役をもった人」

他には、安倍総理のことをやたらにニュースで目にするが、やたらに目にするなあ。と言ったら馬鹿だと思われるのは、それは安倍総理が「総理」だからですね。内閣総理大臣のことは報道するに決まっている。

逆に言えば、「安倍晋三」と、あたかも個人のような呼び方をするが、実はこの方の生まれ~現在までの人生をとやかく言いたいのではなく、ただ「いま現在 内閣総理大臣」だということが、問題なのである。

なんかその、役目と、その人間そのものを、ごっちゃにしているような気が時々するから。

といいつつ、安倍さんは嫌いですが。



パレスチナ報道


それと、しばらく前に雑記に書いたパレスチナの話で言えば、

パレスチナでいくら人が死のうとも、それが一度の「大量虐殺」レベルでなければ、とりたてて日本での報道はされてない、ということだそうだ。

しかも今日ツイートで見たところ、グーグルマップとアップルのマップからパレスチナの表示がなくなった ということだ。

公共性とは、「アメリカ」なのかも



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