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2021年も、写真集をつくった

今井です。
昨年参加した2つのZINEイベントが、今年の夏もやるよー、ということで、それに合わせて重い腰を上げ、雪の本をつくってみました。
写真とエッセイの組み合わせ。といっても、全部自分のじゃなくて、2名の写真とエッセイを編んでおります。

独りよがり=偏愛

おしごとや他のいろんなことで時間が詰まっているなかで、隙間を縫うようにつくりました。

2人のエッセイを募ったのは、自分だけの目線や考えで一冊を独占するんじゃなくて、それを良い意味でわかりやすい、普遍的なところへ持っていきたかったからです。
雪にたいする考え方は人それぞれ、ということがなんとなく分かっていても、多様な登場人物の証言があることで説得力は断然ちがう。いろいろな姿勢をした言葉があることで、雪というテーマや写真の深みが大きくなる。

わたしの写真や文章の主体はやはり地元富山なのですが、雪というテーマのうえで場所の縛りもゆるくしたかった。
一口に雪国といっても場所ごとの差異はかならずあるはずで、でもそれをいろいろ織り交ぜることで、○○という違いがあるね、ということも見つかるかもしれない。
逆に、△△なところは一緒だねえ、という雪国同士のナゾの連帯感、普遍認識が醸成されるかもしれない、ことも期待した。

わたしが雪を好きだということが伝わる、偏愛のかたちとしてのZINEも、それはそれで、「マツコの知らない世界」観で面白いんでしょうけど。
やっぱり外に出すからには、ちゃんと写真載せるからには、そういう、言葉〜写真〜読者の個別体験を刺激する、他人の本を身近なものとして読んでもらえる仕掛けがほしいと思いました。

写真は、ことしの冬に何度か北陸へ行ったときに撮り溜めたものから、半分いきおいと、半分構成を気にしながら、ポッポッと選びました。
なんというか、つまり旅先(≈すぐ離れねばならない場所)での写真ばかりだから、「おお雪だ!撮らねば!」という焦りもどっかにあっただろうし、本を編集してるときも、「写真、組まねば!」「これで、いいか?!」という焦りもありましたよね。
逆に、夏のZINEイベントがなければ、今も忙しいからとかウダウダいって、作りあぐねてたはずです。

雪に対する焦りは、生まれつき

雪好きなんですけど、私の地元富山は雪降るっていっても、平野部は雨混じりの雪だったり、降ってもすぐ解けたり、ということがよくありました。だから、雪がなくなってしまわないか、小さいときから不安でした。
家にいるときは頻繁に窓から庭をみて、昨日はフェンスが埋もれるくらい積もってたのに、今日は土台が見えてしまってるなあ、とか。
今日は雪解けの雫のパチパチがそこここで聞こえるなあ、明日はどこまで解けちゃうかなあ。とか。
庭でやる雪遊びのたのしさは、ソリ滑りが速い!とかそういうことより、たくさんの雪の中にいられること、その雪でカマクラやすべり台をつくること、そのものが楽しかったように思えます。除雪もよかった。
つねに、雪そのものの動態に一喜一憂して、その感触や変形をたのしんでたんだろうなと、今言葉にするならそんなところです。というか、今もそうです。

だんだん、大人にちかづくにつれて、その雪への焦りは別方面に派生します。現在や将来の気候変動、俗にいう地球温暖化です。
小学生そこらのころ、東京のどっかで、2100年に至るまでの地球の温度変化予測を、世界地図上での色の変化によって示す、大きなディスプレイを見ました。

↑ディスプレイのイメージ(https://mainichi.jp/articles/20191203/k00/00m/040/273000c)。

世界地図がだんだん赤色に染まっていくさまを見せられて、「温暖化ってこわいなぁ」と思ったのが、わたしの人生における、温暖化というものの原体験です。
そこから、「いまより暖かくなる、ということは、雪も降らなくなるのか!?」と、やはり雪の行く末を連想しだしたのは、いつだか覚えていませんが、いまでもなんとなく、そう思ってるのは事実です。
2019年度、2020年度と、立て続けに無雪の年がつづいたときなど、まともに帰省してたわけでもないのに、ネットニュースをみて勝手に、雪のないことにゲンナリしていました。
かと思えば、地球は実は寒冷化している、という趣旨の論文や記事をみつけて、なるほどねぇ、と謎の安心感を得てもいました。実際問題、本当のことはわからないのだけれど。

で、すこし極端なのかもしれませんが、マイカーをもつ大人のひとたちって、雪をイヤミにしか言わないんです。はよ無うなってほしいわ、そのほう楽やわ、という人がいると、それ、本気でいってんの?と心の中の私が反論してしまっております。

雪に限らず、地震があったら大変だからと、押し入れにある防災セットをわざわざ玄関に飾るように置いたり、大雨の日は「雨やめ雨やめ」とつぶやき倒したり。なにかと心配性に育ってきたような感じがします。しかし、備えあれば憂いなし。


明記しておきたいけど、断言はしたくない=説明

つい、説明、しちゃいます。
同時期に映画をつくるワークショップに参加してたんですが、最初にことばを並べるところから始めて、最後までそこから離れることができませんでした。言葉を並べたからってそれ全部説明する必要はないんだけど、しちゃいました。
時間がなかったって言い訳をまたするようですが、明記したほうが、手っ取り早いんですよね。とりあえず、私はこうこう思ってまーす!と言ったほうがスッキリするのかな。
でも、一応、読み取る側の気持ちになってみて、断言することはよしておこう、と曖昧な表現を入れていくと、ますます長くなったりして。
今回の写真集は、写真ひとつひとつの隣に、ことばと場所をのせました。正直私も、言葉一切ないほうがいいかもなぁと思いつつ、周りの人間に聞いたら、あるほうが良いんじゃない?という人のほうが多いものだから、結局つけました。
こういうとこにまで民主主義って持ち込むものなのだろうか? 分かりません。

時間の必要性

こんな、時間ないとか、焦りとかあんまり本当はしたくないんだけど、イベントがあったから作れたというところもあります。○○したい!という衝動でスピード感もってつくられるものは、それはそれでアツイものになりそうですし、逆にそういったものを時間かけて考えていると、ヌルくなってくような気がします。

今回の雪の本はどうなんでしょう?

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↑今回はタテ構図の写真入れてないんだけど、タテも良いやついっぱいあるんだよな!クゥ〜ッ

ここまであれこれと、心の焼け残りを燃やそうと頑張ってきた感じですが、
形にできるだけで凄いことだよ、といってくれる人がいるから、とりあえず、心に薪をくべるのは、今日はこれくらいにしておこうかな。

というか、まだあんまり人の手に渡っておりませんので、どんどん感想とか聞かせていただくのも、これからです。
たのしみにしています。

それでは

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