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ないものねだり

ここ最近よく考えるのが
才能というやつ。

はっきりいうと
自分にはナレーターに必要な才能がない

耳が良くない
響きのいい声じゃない
肺活量が多くない
度胸がない
表現力が高くない
コミュ力ない
etc

あげるとキリがない。

「あげてることって努力すれば手に入るでしょ」
って思うかもしれない。
そりゃ努力すればある程度は手に入る
だけど才能持ってる人間だって努力しているから差は埋まらない。

それに成長率や即戦力という話になってくると
やはり才能は必要だと思う。
社会が欲しいのは
いつだって才能がある人間。

才能がある人間は
一定のところで止まるってよく聞くが、
ありゃ違う。
慣れるのに時間がかかってるだけ。

それに才能ある人間はすぐに慣れる。
ぐんっと上がったところで比較するから
止まってるかのように見えるだけで
ちゃんと緩やかに上がってる。

「才能なんてなくても努力でどうにかなる」
とかというのは才能を持っている側の発言。
金持ちが「お金なんてなくても大丈夫」って
言ってるのと一緒。

どっかの犬か熊か忘れたが
人生は配られたカードで勝負するしかない
とか言ってたが
そのカードっていうのが才能で
側から見てもすごいカードって
わかるのもあれば
どう考えてもダメなカードもある。


しかし
ダメなカードでも使い方によっては化けたりする。

売れているお笑い芸人さんを見ていればよくわかる。
ブサイクも貧乏も面白くないも
ジョーカーやワイルドカードにしている。

ここまで色々と才能に関して書いてきたが
才能は生まれ持ってのもの。
身長が高いも低いも才能。
太れるも太れないも才能。

こう見ると
誰でも才能あるんじゃないか
って思うけど
突出してなければ、ただの平凡。
そう考えれば世界にはちゃんと優劣はある。
世界は平等には出来ていないのだ。

最後に
この世で一番いい才能は
見極める才能だ。

これがあれば
「どんなカードもジョーカーやワイルドカードになる」
と思っている。

才能がある人間というのは見極める才能がある人間ことをいうのかもしれない。


自分にはこれがない。
これがあればナレーターになっていないだろ。

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