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note楽しい(^o^)

 勉強しているほうが楽だ。0から自分で考えて、文章にすることよりも、本を読んだり、誰かから教わったりするほうが、はるかに楽。他の人はどうかはわからないけど  

 

 考えを整理できず、勉強に逃げた

 noteを始めて、自分の病気のことについて、どうにか整理して書いていきたいと思っていたのに、なかなかまとまらない。書きたいことが多すぎて、長くなってしまう。だったら、何回かに分けて書いたほうがいいのかも、と迷っている。のが現在の状態だ。構成みたいなものは考えているけど、そこから進んでいない。病気を抱えることになって、思ったことと、伝えたいことがあるものの、どうしたらそれをわかりやすく言うことができるのか。その点をずっと悩んでいる。やっぱり文章は難しい。

 

 最近は、そうした日々が続いていて、どうにか形にできるまで、空いている時間は、勉強をしている。病気になって、思ったことのひとつが、勉強したい!世の中のことや、人について知りたい!がだった。この世界について何も知らないのに、死ぬことはできない。そう思ったのだ。もちろん病気になる前からそれなりに学びの時間を取っていたけど、より強い気持ちになった

 

 そんなわけで今は、歴史を中心に学んでいるところだ。世界史の教科書を読んでいるけど、学生時代に勉強したことをほとんど覚えていなくて、衝撃受けている泣 あまり真剣にやってなかったんだろうな…

誰でも学生のときに、大人からよく「今のうちにちゃんと勉強しておけ。じゃないと必ず後悔するぞ。」と言われているはずだ。その時僕は、いや、あんたらがサボってただけだろと思っていたが、自分が20代になってようやくそれを理解できた気がする。結局自分も同じことを思うわけだ学ばないねー。もし今の僕が若い人に言うなら、勉強すれば得をするぞ!と伝えたいかな。損をする、というよりも得があると個人的には感じる。でもあれかな、人間は得することよりも、損することのほうに強く反応するから、やっぱり勉強しないと損するぞ!のほうが正しいのかもしれない。

 

 リアクションからアクションへ

 こんな感じで、noteの記事をどうしていくか考えたり勉強したりしているうちに思ったことがある。自分が何かを書いたり話したりしてアウトプットするよりも、吸収するほうがはるかに簡単なんだなと。もちろん勉強も脳に負荷をかけるようにしないと、知識として自分のものにならないから、頭が疲れる。でも自らが考えて、文章にするという作業とは、全く別種の疲れ方に感じる。おそらくインプットとアウトプットでは違う能の機能が働いているからだろう。

 主体的に自分がアクションを起こしていくという行為は、他のものと比べものにならない疲労感がある。そして、それには絶対的な正解がないから難しいし、正しい道がわからないから迷う。そして不安になる。反応が薄かったり、手ごたえがなかったりすると、ショックを受ける。だから変な疲労感を覚える。 

 僕は今、手応えがないけど、楽しくやれている。今はとにかく、自分の気持ちを文章にして、誰かに届けたい。とても難しい作業だけど、その想い一心でnoteに取り組めている。納得のいく文章が書けなくても、とにかく書き続ける。これが現在の目標だ。


 

 まだnoteを始めて、片手の指で数えるくらいしか投稿してないけど、楽しくやれています😄。自分だけしか見ない日記とは異なり、緊張感があって、やりがいを感じています。やっぱり人に読んでもらう、と意識すると、言葉の使い方に注意するし、何よりテキトーに書かなくなりますね笑

それでも拙い文だし、表現力も乏しいのが現実。いつになったら、自分の文章に少しでも自信がもてるようになるのかな。noteを続けていけば、文章力が上がっていくのだろうか。書きながら、成長していければいいな、と思っています。頑張りワンワン😺 

そういえば、最近フォロワーさん増えて嬉しい😄

生涯勉強!大切に使わさせていただきます!この感謝を忘れません