見出し画像

春が遅い。

いつ冬が終わるんだ、と思っているうちに4月も平成も終わろうとしている。

今年は例年に増して「いつのまに」感が強い。
まだまだ、冬のコートが手放せなかったというのに、今日は春物でも暑い。湿度もすごい。

雨後のタケノコならぬ雨後のナガミヒナゲシを見てはその勢力拡大におののきつつ、「あれ、こないだ全力で咲いてなかったっけ」などと思ってしまう。それは去年のハナシだ。
一年過ぎるのが早いわね、というよりは、今年に入って一度春来たよね? んで過ぎたよね? ん、今季節的にドコ? という感じ。もう夏が来るかと思ってたわ。

なにしろ、お花見がもう、ひと月も前なのだ。


夜になっても、相変わらず空気はぺたりと肌に気管にはりつくような湿気を含んでいる。
しかし参った。こんな湿度はしばらく忘れていた。妙に消耗するな。
大して汗をかいてもいない額を手で拭う。
これから乗車率200パーセントの電車に乗らなければならないというのだから、なおのこと憂鬱だった。

夜の駅のホームはゆるやかに湾曲して、奥を見遣れば景色のすべてが遠近感のかなたに吸い込まれてゆくように見える。さほど広い駅でもないのに。

気がつけば柱に凭れて座り込み、私は蛍光灯のあたりをぼぉっと見つめていた。背中がひんやりとして気持ちいい。

あの花はことし、咲くのだろうか。もう順番は終わりだよ、また来年ね、と神様にそっぽを向かれたりはしないのだろうか。

適齢だの旬だの劣化だのという刺々しいワードが飛び交う人の群れのなかで生きていると、まるでそこに絶対の秩序や理があって、それを逸脱することが大それたことのように錯覚してしまうけれど、そんなのは人の作った秩序だ。ご都合主義の理だ。そんなことを思う。

もっとも、自然の理はさらに厳しいのだろうけど。

欲を取り違えた生き物。
そうやって作られたなにかに縛られて、牽制しあっている。

やつらは咲くなりに咲くだろうし、咲かないなら咲かないのだろう。誰が咎めることもない。
外来種と在来種とを分けて守りたがるのもきっと、人間のエゴにすぎないのかもしれない。


電車に乗り込む。揺られるたび誰かのパーソナルスペースに踏み込み踏み込まれるのを、わざと考えないように、手元の画面に視線を落とす。
「降ります」そういって通り過ぎる人が私の肩にぶつかった。誰かのスマートフォンがリノリウムの床にはねる音がする。

きっと誰も悪くない。

自分と同じように、目を伏せて手のひらの世界に避難する人たち。
乗車率200パーセント。一様に首をもたげて斜め下を向くその姿が、なにかに似ていると思った。

そうだ。春を待つ、あのナガミヒナゲシだ。

#エッセイ #毎日note #短編小説 #花 #春

サポートしていただければ今後の創作・表現活動に大切に使わせていただきます。めちゃくちゃ喜びます。萌える毛玉になって跳ねます。