僕と君と高知放浪記②のこと
高知放浪記②
〜または帰省は言ってみりゃボディブロー〜
blogだけど簡潔に書きたい。
一つの記事がやたら長いのは嫌い。
帰省を区切って思い出として記していきたい。
しかし、既に前回の記事ですら長いと思う。
で、今回はもっと長くなると思う。
26年の想いがある。
ー え?前回5年ぶりって言ってなかった?
それは帰省が、て事。
26年前に蒸発した母親がいた。
“いた”と書くと死んだみたいだが、最近26年ぶりに連絡があった。
再会する。
もう二度と会えないだろうと思っていた。
人生は分からないもんだ。
26年ぶりの会話。
「ちょうど帰省するけど、会う?」
「痩せてからにします。今太っちゅうき。」
26年間の重みを「痩せてから会いたい」という鼻血の出るような理由で吹き飛ばす生みの母である。
こういうなかなか破天荒というかエキセントリックな感覚はある程度遺伝するのだと思った。
僕は自覚がある。
僕は他人と比べて幾ばくか風変わりでありますが、母から遺伝だと確信した瞬間だった。
そんな事もありつつ、母は母の周囲の『会えるなら会いなさい』至極当然な説得もあり会う事に。
再会の場所は、鰻屋さんへ。
オーダーして40分は必ず待たされるお店、と書くと地元民は分かるみたい。
事前にスマホで対話も通話もしていたので、涙で抱き合う熱い抱擁付きの再会ではなく、昨日も会ってた友人と会うようなサラっとした再会だった。
これでいい。
僕も母も前を向いて生活をしている。
これでいい。
40分の待ち時間もあっという間に感じた。
積もる話もあったし、26年のお互いの年表を確かめるのはまだまだ続くと思う。
母親でありつつ、ファンの方のような目線で話をしてくれる。
僕の音楽で何曲か気に入ったのもあったみたい。
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産んでくれて、ありがとう。
HLN
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