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“糸の切れた凧”のような記憶

 きのうもまた山手線が止まった。

 2日連続で「渋谷駅にて人身事故」である。我が家では初日にカミさんが、2日目は次男が立ち往生させられた。「渋谷駅のホームがひとつになったのが関係しているのかしら?」とはカミさんの懸念だが、それはわからない。

 夕飯の雑談はそこから「こうなった場合にJRを回避して地下鉄で帰宅するルートは何か」「山手線が地震で止まった夜にとっさの判断で下車して2駅分を徒歩で帰宅した長男の好判断エピソード」につながった。

 「あー、たまたま駅に停車していて下車できたこと、しかもウチの近くの駅で、とにかくラッキーだったやつね。3~4カ月前だったっけ?」と応じたら、「1年以上前だよ!」とバカにされた。長男がすぐにキーワードを駆使してネット検索する。「ほら、21年の10月だよ。もう1年半ほど経っている!」と呆れられた。

 長男によると「銀座のHというお得意さんからの帰りだった。ということはいまの部署に異動する前だから、1年以上前なんだ」と記憶がつながったらしい。

 他方、私にとっては「長男が地震でちょっと苦労したけど、切り抜けた」だけの“単独”エピソード。まるで糸の切れた凧のようなもので、フワフワとよるべがない。それにしても16カ月も前の話を「3~4カ月」と思い込んでいるのは、いささかバツが悪いところだ。

 「トシを取ると時間が経つのが早い」は、大いに実感するもの。

 「3歳児にとって1年間は人生の3分の1を占めるが、還暦には60分の1にすぎないから」という説がある。

 あるいは「トシを取ると身体機能が衰えて時間経過を認識する能力も落ちるから、時が速く過ぎてゆく」という説も読んだ。当事者としては、なんとなくこちらの方に納得感があるぞ。

 定年退職の日まであと8カ月足らず。

 こんなことでは、“その日”はあっという間にやってくるんだろうなあ。
(23/2/3)

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