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「太い」ことは扱いやすい?

 私はガジェット好きな子どもだった。いまもその名残りがあって、東急ハンズでカバンや文房具の売り場などを徘徊する時間は、なかなか幸せだ。

 関連雑誌などもパラパラ眺めていた。万年筆のド定番といえばモンブラン、それも「マイスターシュテュック149」だと知って、うっとりと憧れたものだ。私が高校生だった当時の定価は4万7000円だったように記憶、とても買えるものではなかった。いまの定価は11万5500円もするのか。まったく手が出ない境遇ではないが、どこかで「まあ、こうした物欲は一時的な熱病みたいなものだから、買ったあとはどうせ放ったらかしにしちゃうんだよね」と冷静に理解している。

 情報誌などでマイスターシュテュックは「その太さによっていくら書いても疲れない」などと絶賛されていた。「たしかに、世の文豪たちはきっとチマチマと鉛筆で執筆したりしないんだろうな」という憧れも惹起させられる。

 話かわって。

 ジョギングで路肩に駐車しているトラックの横を通り抜けた際のことだ。急発進に巻き込まれるのが怖いので運転席に注意を向けていたところ、ハンドルが大口径かつバカ太いのに気がついた。あれが標準なのか、それとも趣味の世界で特殊なものに交換したりカバーを巻いていたのか、わからない。それでも、大きくて太いハンドルはいかにもどっしりしていて、扱いやすそうに見えた。

 常に触っているものだけに、筆記具の太さ、ハンドルの形状などが手に馴染むかどうかは大きな問題だろう。キーボードしかり、野球のバットしかり、、、しっくりくる道具があってこそベストパフォーマンスが発揮されるのだろう、と思った次第だ。
(22/7/23)




 

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