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“普通の人の目線”になってきた

 入社以来35年間在籍した報道局から異動してからおよそ3年経ち、最近はニュースへの関心がどんどん薄まってきているように思う。

 もちろん記者(デスク)として原稿を書くことはもうないため、ニュースの細かい用語・肩書などをケアする必要はない。しかしそれだけでなくニュースそのものへの関心がなくなるのだ。

 オフィスでも夕刻の自社のニュースにチャンネルが合っているが、喧しいと仕事に差し支えるため音声はほとんど絞っている。たまに目を引く「派手な」ネタがあることを横目でキャッチすると「ほほう」と思うが、そこまでだ。

 なにをもって“普通”とするのか、軽々に決めつけることはできないが、それでも「普通の人ってこういう感覚でニュースを見ているんだろうなあ」と思うようになった。

 視聴率を稼ぐために「映像が派手なもの」「下世話な興味を引くもの」から並べたくなるのは、ある意味で仕方がない宿命だ。「それでもやるべきものがあるだろう」という議論は昭和から内部でやってきたこと。それでも肩ひじ張らずにテレビに向き合いたいという“普通”の目線を知ると「こんなものなんだなあ」と思うのでした。
(24/5/22)

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