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「個人の主体的な判断で・・・」

 「だから日本人は・・・」という紋切り型でステレオタイプな見方は絶対に避けるべきだと思っている。それでも5月以降のコロナ対策をめぐっては、「やっぱり日本人は主体的な判断ができないのかな」と考えている。まるで裸でお堀の水の中にポーンと放り込まれたような気分なのだ。

 政府が新型コロナの感染法の位置づけを「5類」にする方針を決めた。5月8日から実施予定だ。

 医療逼迫、経済への影響、財政、社会不安、、、判断すべきファクターは山のようにあるのだろう。それでも、3年間をコロナ禍の下に過ごしたきた凡人にとっては「え?マスクなしの生活に“戻って”いいの?」「あれだけ『お願いだから、打って!打って!』と言われ続けたワクチンも、これからは個人がカネを払わなくちゃいけないの?」が気になるところ。

 マスクについて政府は「個人の主体的な選択を尊重し、着用は個人の判断に委ねる」としている。

 「この鬱陶しさから解放されるのは嬉しい限り」「買い置きがあるかどうかを心配する日々も、もうおしまいか」「いまやマスクは『顔のパンツ』。全面をさらけ出すのは恥ずかしい」などと思い悩んでいると、「お上に決めてほしいよなー」と思ってしまう。

 「個人の主体性を尊重する西欧の人ならこんな考え方はしないんだろうなー。やっぱり日本人って」と、どこまでもステレオタイプ思考がついてまわる。

 しかし、判断するための医療・疫学上の知識なんて持ち合わせていないのが凡人だ。結局、5月8日の朝になったら「電車やお店で周囲をキョロキョロ見回して、みんなが外しているようなら、そっと外す」んだろうな。

 それが日本人じゃい!何が悪い?
(23/1/28)


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