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何が彼らに起こったか?―『セッション9』

セッション9 session9 2001年 アメリカ

この映画の舞台となる Danvers State Hospital は、アメリカのマサチューセッツ州ダンバースにかつて実在した、州立精神科病院である。

19世紀半ば、精神科医トーマス・S・カークブライドは、精神疾患の治療のためには、環境・自然光・空気循環が重要であるとして、自らの名を冠したカークブライド計画を提唱した。
病院の建築様式に始まり、あるべき機能、レクリエーション施設、スタッフの人数や配置、その男女比率、報酬、居住地に至るまで事細かく定められたこの計画は、閉鎖的で劣悪とも言える精神科医療に革新を齎すものだった。

だが、計画に基づいて建てられた理想的な病院であったはずのダンバース州立病院は、のちに非人道的な治療が行われているとして問題視されるようになった。患者や職員に『地獄』と呼ばれるような病棟もあったという。
1878年に開業した歴史ある病院は、悪評と経営難の中で1985年に閉鎖された。
そして2001年、廃墟となっていたその病院をロケ地として撮られたのが、『セッション9』という映画である。

精神科医療の現場を舞台とした映画というと、代表的な作品では誰もが知っている『カッコーの巣の上で』、古いところでは誰も知らない『マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺』(長いよ)などを思い出すが、『セッション9』にはそうした映画のような、見ただけでそれと分かる入院患者は出て来ない。病院はとっくに閉鎖され廃墟になっているからだ。登場するのは、作業服に身を包み黙々と仕事に励む、地味なおっさん達だ。若い奴もいるにはいるが、若者らしい覇気が感じられず、どちらかといえば周囲の中年と同化している印象だった。

廃墟と化したこの建物には、改修工事の計画があるのだが、その前に内部のアスベストを除去しなければならない。その作業のために集まった人数は5人、うち一人は全くの素人バイト。一週間で作業を終えれば破格のボーナスが手に入るが、建物は恐ろしく広く、そんな短期間では到底無理なように思える。
だいたいアスベスト除去を素人に手伝わせていいものなのか、時間ないのにこの人たちみんな定時出勤定時帰宅だけど大丈夫なのかと、話の導入部は怖いと言うより無謀、設定がザル過ぎる。
そんな中、作業員の一人が発見した、昔の診療(セッション)の様子を録音したテープ。全部で9本あるそれが、タイトルの『セッション9』となるのだが、このテープを聴いたから妙な事が起こるとかそういう話ではない。聴いた奴がおかしくなる訳でもないし、テープの内容と同じことが起こるのでもない。
尤も、そういう事になってしまうとサイコミステリーというよりはホラー色が強くなるし、どうしてもどこかで聞いたような話になってしまう。オチも読めるし、場面が変わるたびに『ああ、やっぱりね』と思ってしまうだろう。
その点ではこの映画には『やっぱりね感』は少なかったと言える。
地味に予測の付かない展開だからだ。

もと精神科病院、当時のセッションテープ、限られた時間の中での作業なんてお膳立てが揃っていると、どうしてもベタなストーリーを想像してしまいがちだ。

『作業中に発見されたセッションテープによって徐々に病院の恐ろしい過去が浮き彫りになって行き、やがてテープの内容に沿うかのような猟奇殺人が起こり始める。行方不明になっている凶暴な入院患者、彼は今もこの病院の中にいて、次の獲物を狙っている!』

書いてて自分で恥ずかしくなるが、大抵の場合こんなところだろう。
だが実際にはテープを聴くのは一人だけで、こんなのがあったよと仕事仲間に教えることはなく、昔の入院患者は関わって来ず、物陰から鳴り物入りで殺人鬼登場なんてシーンも勿論ない。不気味な雰囲気はものすごく怖いし事件も起こるが、劇中で行われているアスベスト除去作業と同じように淡々とした調子で話は進み、淡々と終わる。
意外ではないがありきたりでもない、そんな感じだ。

ラストシーン、巨大な病院の映像にかぶさるセッションテープの中の言葉は、『ここまで引っ張って来てそれ?』と思わされる使い古されたものだったが、そこもある意味予想の付かない展開だったと言えなくもない。
まさか今時こんなセリフで締めるなんて、と。

廃墟マニア必見、という事で観た映画だったが、廃墟の他に観るべきところは殆どなかったというのもまた意外な展開だった。

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過去のブログ記事からの再掲。この映画が公開されてから20年以上も経っているのだと思うと、今や時の流れの容赦なさのほうが怖い。


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