僕の好きな詩について 第一回 谷川俊太郎
こんにちは。
僕の好きな詩について、言いたいことを言うコーナーを始めてみます。
僕にも読んでくださるかたにも新たな視点が生まれることを期待しています。
それでは第一回の詩はこちら。
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「さようなら」谷川俊太郎
ぼくもういかなきゃなんない
すぐいかなきゃなんない
どこへいくのかわからないけど
さくらなみきのしたをとおって
おおどおりをしんごうでわたって
いつもながめてるやまをめじるしに
ひとりでいかなきゃなんない
どうしてなのかしらないけど
おかあさんごめんなさい
おとうさんにやさしくしてあげて
ぼくすききらいいわずになんでもたべる
ほんもいまよりたくさんよむとおもう
よるになったらほしをみる
ひるはいろんなひととはなしをする
そしてきっといちばんすきなものをみつける
みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる
だからとおくにいてもさびしくないよ
ぼくもういかなきゃなんない
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この詩をはじめて読んだ時、精神的な自立、マザー/エディプス コンプレックスからの脱却、成長と脱皮のうただと感じました。(母親には話し掛けて謝っていますが、父親には直接のメッセージがないんですよね。)
どうしてか分からないけれど大人にならなければいけない僕たちの切なさや勇気を平仮名のみで優しく描いていて、美しい読後感が立ち上がります。
これがご子息の谷川賢作氏の作曲で矢野顕子さんの歌になっているのだから、たまりません。
谷川氏は大岡信氏との対談のなかで「言葉より先に詩がある」という考え方を述べていました。犬の遠吠えは詩である、と。それは「谷川氏にとって」ではなく普遍的にそうである、という趣旨です。
子供はやがて必ず大人になります。その時の痛み、覚悟、勇気の武者震いが言葉以前にあったものとして掴みとられ、幼さの残る平仮名のスタイルで詩の形に結実しています。(谷川氏は基本的に依頼されて詩を書くとのことなので、「さようなら」も誰かの要望があっての作なのでしょうけれど)
危うくも美しい普遍性を嫌味のない巧みさで描写する、黄金の技術が光る一編だと僕は思うのです。
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