僕の好きな詩について 第二十二回 さくらももこ
僕の好きな詩について語るノート、第二十二回はさくらももこさんです。さくらももこさんは文章も個性的でエッセイを数冊出版されていますが、詩集も一冊出されています。
ところで、今年はビッグネームが次々と亡くなり切ないですね。昭和最後の年もそうでした。時代と才能は関係あるのかも知れません。
ともあれ、まずは詩をどうぞ。今回は特別に3つ掲載します。
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「変化」 さくらももこ
なんにも
変わってないよ。
なんにも
動かなくて
なんにも
音がしなくて
なんにも
無いんだから。
でも時計があるから
人が死ぬ。
「ひとときの何人」
1秒前のわたしを取り出すには
0.1秒前のわたしも
0.01秒前のわたしも
0.001秒前のわたしも
0.0001秒前のわたしも
0.00001秒前のわたしも
何人も何人も何人も何人も
必要だよ。
一瞬はえいえんを内包しているな。
永遠は まばたきなのかな。
「たかし君」
いじめられている
たかし君が
泣いている。
たかし君のシャツは
きいろくて
小さい小鳥のマークが
ししゅうしてある。
そでが よごれているよ。
たかし君の
おかあさんが
たかし君のために
着せてくれてたシャツ。
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さくらももこさんの詩集「まるむし帳」から。
かなり哲学的な内容の詩と本人による挿し絵で、詩集としてはかなり変わった本です。さらに内容の半分くらいは谷川俊太郎さんとの対談で、その内容は民間療法の話題やおふたりの死生観について等、かなり際どいです。
上記の詩から僕は彼女の漫画をそのまま文字にした印象を受けました。逆に言えば、ちびまる子ちゃんやコジコジが既に絵による詩なのだと感じたのです。
ファンに超絶不人気で読むと悲しくなる「ちびしかくちゃん」も彼女の哲学=詩の、ある角度からの顕れだったのかな、と今は思います。
心よりご冥福をお祈りします。
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以下は「まるむし帳」の対談からの抜粋です。
谷川「で、いまはどういう結論ですか、死んだ後はどうなるか」
さくら「死んだ後は、やっぱり全部がなくなるとは思えないんです。いろんなことを考えてみると、魂の永続性はあったほうがいいよなって思う。」
谷川「どうせわかんないんだから、そういうふうに信じていた方が得です。気が楽だしさ」
さくら「もしなくなっちゃうにしても、そう信じて生きてたほうが有効な人生が送れるというかね。」
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いつか詩集を出したいと思っています。その資金に充てさせていただきますので、よろしければサポートをお願いいたします。