僕の好きな詩について 第三十七回 清水昶

ご無沙汰してます!忙しく中々更新できないでいた僕の好きな詩についてお話しするnote、第三十七回は清水 昶(しみずあきら)氏です。

まずは詩をどうぞ。
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「少年」清水昶

いのちを吸う泥田の深みから腰をあげ
鬚にまつわる陽射しをぬぐい
影の顔でふりむいた若い父
風土病から手をのばしまだ青いトマトを食べながら
声をたてずに笑っていた若い母
そのころからわたしは
パンがはげしい痛みでこねられていることを知り
あざ笑う麦のうねり疲労が密集するやせた土地
おびえきった鶏が不安の砂をはねながら
火のように呼ぶ太陽に殺(そ)りあがる一日の目覚めに
憎しみを持つ少年になった
たぶんわたしは暗さに慣れた
太陽を射(う)てまぶしい対話を潰せ
しずまりかえった夜こそがわたしの裸身の王国であり
梟のようにしんと両眼を明けるわたしの
その奢る視界であえいでいる母
残酷な痛みのなかで美しい母ににた
神に従(つ)く少女を愛し
因習しみつく床に膝を折る少女の
闇夜をひらく眼の一点に
迷い星の輝きを見た
どこへ行こうとしていたわけでもない
なにを信じていたわけでもない
ひややかな口づけは花やいだ世界を封じ
たゆたう血潮を閉じこめるひとつの夜に
息をひそめて忍んでいくとき
初潮のような朝が来る!
生活の鬚を剃り落とすたしかな朝
きれいなタオルを持った少年は
わたしの背後にひっそりとたち
決してふりむくこともなく老いるわたしを
いつまでも
待ちつづけている
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清水 昶氏は60年代に学生運動をしていた世代ですね。第三十二回に登場した帷子耀氏https://note.mu/hally10031003/n/nfc28f1e01215

や第二十八回の 長田弘氏https://note.mu/hally10031003/n/n9b5dcdbb92d5
と同じ世代です。

お父様が軍人/花火職人と言うご家庭なのですが、中々厳しい成長過程を過ごされたみたいで、勿論本人の詩の中の出来事が全て現実の出来事だと思っているわけではないですが、やはり体験していないと書けないものもあるでしょうから、心は痛みます。

清水氏の詩にはいつも驚きがあります。こうくるか!とか、おお凄い!とか思うこと頻りです。

ぱらっと詩集を捲ってみても
「流れることは
火のような郷愁をかきたて
初源へさかまく水の牙が
砂を湛える飢えの底を
さらにえぐった(赤ちゃんたちの夜)」

とか

「あなたの胎内に荒んでいる石の原!
そこに棲みつき飢えにするどいいっぴきの犬は
わたしの記憶を喰いちらしさらにおののく肉を嗅ぎつけ
残照にふるえるわたしのほそいのど首をしめる(犬)」

「異母の道
みどりの細菌を吹きこぼし
鬱積の毒液ひそかに流して
汚名を雪(そそ)いで
おれたちが行く」

など、切れ味の鋭い詩句を拾いあげることができます。

「夏の果て」「Happy Birthday」という詩なども素晴らしい詩であると感じます。是非読んでみてください。

なお、氏には清水哲男と言う詩人の兄がいて、彼も父親のことを詩にしているので、よっぽどの家庭なのかと思いますが、そのことが兄弟に才能をもたらしたのなら、それは皮肉なことです。



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