自己紹介の苦手さと”自分が何者なのか”
自己紹介が苦手だ。
それに気がついたのは大学入学後のことだったと思う。
自己紹介をする機会が多い。入学後だけではなく、進級してからもサークルやゼミ、バイト先で何回も自己紹介をしている。
自己紹介で何を話せば良いのか分からない。フォーマットが指定されている場合は名前、専攻、出身などを前の人のを換骨奪胎しながら話せる。しかし個人間で行うものや”自由に”話さなければならないとき、どこまで開示すれば良いのか、どのような内容が相手にとって面白い(つまらなくない)のか分からず、毎回帰り道で一人反省会をしている。
共有しているコンテクストがない状態で話すのは難しい。
(それを共有するために自己紹介をしていると分かってはいるのですが……)
”自分が何者なのか”
これがエッセイを書き始めてから立ち上ってきた問いだった。
”最近の若者”特有の、何者かになりたいというものとは性質が異なると自分では思っている。
自分の存在を”何者か”――例えば神絵師や人気youtuber――に変えたいわけではない。今のところは、そのようなラベルがほしいわけではない。(将来的に重要になってくるのかもしれない)
”自分が何者なのか”――他者である読者と相対した時に浮き彫りになる自分が何者なのかが、エッセイの執筆には重要なのではないかと書いていて感じている。
商業出版されているエッセイや雑誌に載っているエッセイは”誰が書くか”が明確になった上で語りが始まるだろう。
特に本の形式であれば最初に自己紹介をしてしまえば、読者はその認識を持ったまま読み続けることができる。Web連載でも冒頭に著者紹介が入る。
noteの場合はプロフィールだろうか。
プロフィールに「大学生」と書いてからは、エッセイを書くときに”大学生”として書きやすくなった。もしここに出身地を書いていたら自分は何かにつけて地元の話をしただろうし、もし嘘で「マジシャン」と書いたらマジシャンのフリをするために手品の例えを毎回(ネットで調べるなどして)していただろう。
以前投稿したnoteにこのようなことを書いた。
その後、noteの投稿は自己紹介のようだと思った。
相変わらず自己紹介は苦手だし、投稿も手探りで書いている。
自分のことを知らない人へ自分のことを語る過程を通じて、”自分が何者なのか”を考えていけるのではないかと期待している。
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