奮い立たせてくれる言葉

文筆家を志してからというもの、私は公募用の小説を書いている。
しかし、初めて書く長い物語。今まで感じてこなかった、自分の文章に対する自己嫌悪が顔を出す。

思っているように書けない。
こんなのおもしろくない。
きっと受賞はおろか、一生誰にも評価されずに死んでいくんだ。

考えたくもない嫌なことが頭を埋め尽くす。
ああ、嫌だ。投げ出してしまいたい。なんで私は自らこんな苦しいことをしているんだ?公募用って、誰に頼まれたわけでもないのに。
こうなるとしばらく作業中の原稿に向かうのが億劫になり、大して眠りたくもないのに作業を進めるべき時間に、「明日やるから」と自分に言い聞かせて布団に入ってしまう。
翌日原稿を前にして、何も進まず、以前書き止めてしまった納得のいかない文章を見てまたため息をつく。
なんたる負のスパイラル。

「ものを書く」というのは独りよがりになりやすい。
というか、性質上、この行為自体が1人で行うことなので仕方がないと言ってしまえばそれまでなのだが、やはりどこか寂しさや言い知れぬ不安が己の中にむくむくと膨らんでくる。そのもやもやは誰かに吐き出したところで100%理解してもらえるものではないだろうし、もちろん代わりに形にしてくれる人もいない。結局自分でやるしかない、でもできないという地獄みたいなジレンマ。
これはきっとものを書く人間でなくとも、「何かを創造する人」なら、経験したことがあると思うのだが……。

うまくいかず、イライラして、全てぶん投げてしまいたい。
でも、心が苦しくなったそんな時、思い出すようにしている言葉がある。

「0から1をつくるということは、とても難しいことです。
けれど、必死にもがき苦しめば、0.1くらいは生み出せるものです。
あとは、それを10回繰り返せばいい。」

小林賢太郎『僕がコントや演劇のために考えていること』より

私の崇拝してやまない劇作家・小林賢太郎氏。
彼はコントグループ「ラーメンズ」のコント脚本、自身が主催する舞台の演出・脚本、エッセイ、絵本、最近ではアニメーション映画など、20年以上さまざまな作品を創り上げてきた。
「天才」だと信じていた人のこの言葉。
天才の彼でも、私と同じように、ものを生み出す行為を難しく、苦しく思っていたのか。

そうだ。
私は天才じゃない。
天才じゃないんだから、初めからうまくいくとは限らない。
これは至極普通のことであって、自分を責めすぎことはない。
下手くそでも、未熟でも、それでも「ものを書きたい」という情熱はある。
これを燃やして、目の前にある文章に取り組むことがまず大事なのだ。

そう思えると、先ほどまで頭と心を埋め尽くしていた不安が一瞬でやる気に変わる。
書いて書いて書きまくろう。
何度でも書いて0を1にし続けよう。

公募用作品の提出日まであと残りわずか。
個人的宣誓をした私は、今夜もコーヒーをお供に物語を紡ぐ。

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