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いのちに一番近い指

目次

 命を狩ることを仕事にしている人々が、この世界には存在する。
 彼らは一般的に猟師と呼ばれ、その呼び名の通り、獲物は各々違っていてもなにか生き物の命を狩って生活をしていた。
 この少女も猟師の一人だった。狼と人間の混血、獣人。それが彼女、サラ・クラーラである。
 顎上ほどの長さのふんわりとした菜の花色の髪は、太陽の光を惜しげもなく浴びて真珠のように輝いており、また彼女の古銅輝石にも似た瞳の中心は、いつも彼女の赤色の覚悟を宿らせていた。
 しかし、サラに出会った多くの者は彼女の異質さにはじめは眉根を寄せる。
 彼女の異質さ、それはまず、その小柄な風姿にそぐわない大きなハンマーを背負っていること。次に、彼女の抱える旅荷物の隙間から、魔物の皮や骨が見え隠れしていること。そして、彼女が人の数倍も怖がりで、恐怖に敏感であること。最後に、そんな小柄で年端もいかないだろう怖がりな少女が自らを〝猟師〟と呼ぶことだ。
 しかも彼女は数多の巨大な魔物を狩ってきた、若いがそこそこ手練れの猟師であった。簡潔に言ってしまえば、サラはその見た目の通りにしなやかで素早く、そして見た目に反してかなりの馬鹿力なのだった。
「お姉ちゃん、もう行っちゃうの? まだ帰ってきて三日なのに……」
「うん、ごめんね。新しい依頼が入って……。お姉ちゃん頑張るから、家は任せたよ。よろしくね、ぼくのお姫さま」
 サラにはミラ・クラーラという妹がいる。ミラの髪は菜の花ではなく、珊瑚の色をしているが、その全体的に棘がなく優しげな風貌と柔らかな雰囲気は、やはりどこかサラに似ていた。
 ちなみにだがサラの一人称は〝ぼく〟であり、話し方は歯切れがよくボーイッシュ――彼女は人見知りをするのでこれは親しい人の前でのみだが――だ。それは少女の振る舞いとしてはまたしても異質なものであったが、彼女は一人の少女である前にミラの姉であり、姉として、妹が望む理想の騎士や王子であろうとした。
 平たく言ってしまえば、幼い頃彼女たちがよくしていたごっこ遊びで、彼女はミラ姫の騎士やミラ姫の王子をいささか演じすぎたのだ。
 幼い頃、遊びの中で言っていた、〝ぼく〟という一人称や、少し男の子っぽい話し方が、サラの血液に沁み付いて離れなくなってしまったらしい。そうして今に至っている。
「やっぱりわたしも連れてってよ、お姉ちゃん!」
「え?……だめだよ、ミラ。旅や狩りには危険が付き物だし……お姉ちゃんはミラを危険な目には遭わせられないよ」
「じゃあ、じゃあ! わたしが強くなったらどう? お姉ちゃんを助けられるくらい強くなったら! わたし、力はあんまり強くないから魔法をもっと勉強するよ!」
「こおら。ミラまで旅に出たら誰が家を守るのかな? お姉ちゃんは狩りでみんなを守るから、ミラは家にいて、此処でみんなを守るんだよ。いいね」
 姉が狩りのためにしばらく家を空けるとなると、ミラはいつもこういった具合になる。彼女は彼女なりに姉の役に立ちたいと思い、度々、わたしも旅に連れてって、という旨のことを言い出すのだが、姉の方も中々頑固で彼女の願いは全く聞き入れてもらえずにいる。
 それもそうだ、たいせつな家族を守る力を手に入れようと、狩り暮らしをしながら旅をしているサラにとっては、その守るべき家族が危険に身を乗り出してきてしまっては元も子もないのだから。
「――お姉ちゃん、手の傷……増えてるね」
 ふと、ミラがサラの左手を取って言った。その手には、魔物との戦いで受けた無数の傷跡が残っている。そう言われたサラは余った方の手で、ミラの頬を撫でた。そうするサラは少しばかり、泣き出しそうな顔をしていた。
「うん。でもいいんだよ、ミラ。これはぼくの誇りだから。……この傷の数は、ぼくが奪った命の数。この手のひらはね、とても重たいんだ。重たいけど、ぼくはこれをちゃんと背負わなくちゃいけない。この傷跡は大切なんだ、ぼくにとって、とても。――奪った命の分だけ、背負った傷の分だけ、ぼくは生きなくちゃいけない。……ミラのそれも、お姉ちゃんが背負えたらいいんだけど」
 そう言うとサラは、ミラの頬のある部分で手を止めた。サラの哀しみを宿した瞳が、そこを見つめる。
 ミラの頬には、魔物から受けた大きな傷跡がある。それは二人がまだ幼かった頃、冒険ごっこ、と称し、遊び半分で入った森の中で負ったものだった。
 その頃のサラは今のように怖がりではなく、自らの腕っぷしの強さを盾にして突き進む、物怖じをしない子どもだった。そしてミラもそれに続いていた。
 だが、そのことが仇となり、ある日、彼女たちは冒険ごっこをしている内に森の奥に進み過ぎてしまった。森の奥が魔物の縄張りだったということを、このときの彼女たちは知らなかったのだ。そこでサラは、初めて自らの力で太刀打ちできない相手を目の前にし、己の非力さからミラの頬に一生消えない傷跡を残すこととなってしまったのだ。
「お姉ちゃんも聞かないなあ。この傷のことはもういいんだって。まだ小さかったときのことでしょ? わたし、ほんとに気にしてないのに」
「でも、それはぼくが弱いせいで――ミラを守れなかったから」
「違うよ。わたしの騎士、サラお姉ちゃんはとっても強いんだから! お姉ちゃんのことを悪く言うのは、たとえお姉ちゃんでも許さないよ。お姉ちゃん、こんなに頑張ってくれてる。わたしの頬の、こんな傷跡より何倍も傷付いて――お姉ちゃんは傷跡が誇りって言うけどね、やっぱりお姉ちゃんが傷付くのは嫌だよ、わたし。でも、お姉ちゃんがそうするって言うから、狩りをすることも旅をすることも止めないよ。だから、その代わり、自分のことを悪く言うのはやめて。お願い」
 左手に重なったミラの両手に雨が降る。それはサラの瞳から零れ落ちたものであった。ぼたぼたと大粒の涙を落とすサラの丸い瞳に、輪郭のぼやけたミラが映る。顔は滲んで見えないが、ミラの口から笑い声が漏れたのを聞きつけた彼女の両耳が、今ミラがどんな表情をしているのかを教えてくれた。
「お姉ちゃんは泣き虫さんだなあ」
「ご、ごめんね……こんなお姉ちゃんで」
「こおら。――あ、今のはお姉ちゃんの真似だよ。こおら、ってわたしによく言うよね。……お姉ちゃん。こんなとか、お姉ちゃんなんてとか、言っちゃだめ! 少なくても、わたしの前では! わたしはね、怖がりでちょっと泣き虫な、でもすっごく強くて格好良い、わたしの王子さまで騎士さまのお姉ちゃんが大好きなんだから」
「うん――ありがとう、ミラ」
 ミラの頬に傷が残ったとき、サラは頭を重たい鉄槌で殴られる思いだった。自分の強さを過信していた。何故こんなことにも気付かなかった? 自分はなんという愚か者なのだろう。そして、それから彼女は魔物のことが怖くなった。
 しかし、本当に恐れているのは別のものだということに、彼女は心臓の奥で気が付いている。自分のたいせつなものを失うこと。彼女はそれが何よりも怖い。自分が死ぬことよりも、ずうっと。
 だから、守ろうと思った。守れるようにならなければ、と思ったのだ。命と向き合い、命の重みを知り、ほんとうの意味で強くなろうとした。そうして彼女は猟師になり、今もこうして命とぶつかり合い、生きている。
 恐怖を知り、彼女は強くなった。彼女が狩りのとき、胸に抱く感情たちは彼女を強くする。
 臆する心は彼女に冷静さを欠いた判断をさせない。緊張は彼女が仕掛ける魔物への攻撃を外させない。恐怖は彼女にすべてを教えてくれる。相手の次の動き、相手がこちらに感じる恐怖、相手の心、すべて。そして彼女は魔物への敬意も心に抱く。多くの魔物はそれに応え、彼女と命を懸けて戦ってくれる。
 その度に、彼女の中の狼の血が熱く煮え滾るのを彼女は感じた。魔物と戦うのはやはり怖かったが、しかしそれでも彼女は猟師だったのだ。恐怖はいつでも彼女の味方だった。まだ、彼女はそのことに気が付いてはいない。
「それじゃあ、ミラ。行ってくるよ」
「行ってらっしゃい、お姉ちゃん」
 彼女はこれからも強くなるだろう。守るべきものが、彼女には在るのだから。
「お土産、何がいい?」
「そうだなあ。……新しいぬいぐるみと、美味しい紅茶と、そういえばお姉ちゃんのお友だちって硝子工房やってるんでしょ? なら硝子細工もいいなあ。あとあと、綺麗な石とか……あ! アクセサリーも欲しいなあ!」
「――こおら」


20151103 
シリーズ:『貴石奇譚』〈花まもりの狼或いは名もなき化け物〉

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