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 新年。昨今の世情もあり、あまり穏やかでない年末年始となった方も少なくはない。かくいう私もその一人だ。
とは言え、世間一般からすればごく些細なことだと断じられるかもしれない。しかし、私には少々痛手であった。それだけの事である。

 例年通りなら祖母の介護をしつつ御節を作る筈だったが、昨今の世情や他の理由から『祖母の約束』は断念。本人は作るつもりでいたが自身の手術を理由に受け入れ、母も今年は簡単に済ませると言った。
簡単に、そう言われて私は『御節を買う』ものだと勝手に思い込み、自宅で粛々と日課をこなし一日が終わる。
そうして30日になった朝、寝起きの私に母がこう訊ねてきた。
「御節、何日から作るの?」
正直、面食らった。
私と母とでは認識の差があるとは思っていたが、これ程までズレているとは思ってもみなかった。

 簡単に、作って。という意味を込めていたのだと気づき、母の機嫌を損ねないよう肯定的に返答した。
「今日から作ります」
また一つ、母が嫌いになった。

 私の感覚では調理という行為そのものは決して簡単ではなく、「簡単に済ませる」というのは市販のものを買うことだと認識している。それは今も変わりない。
しかし母は違ったらしい。『御節料理』という普段の調理方法とはやや違う料理も『簡単に作れるだろう』と認識しているようだ。
 何を馬鹿げた事を。そう笑えたらどんなに良かっただろう。
私には上っ面だけの微笑みで穏やかに耳障りの良い言葉を並べ立てるだけしか許されない。『そうあれ』と望まれたようにしか行動出来ないのだ。

 そうして、寝ぼけた頭をどうにか起こさねばと思っているところ、母から追い討ちをかけられた。
「今日からお婆ちゃん泊まりに来るから、部屋の片付けとご飯よろしく」
今思えば、その場で否定的な事を言って母の機嫌を損ねなかった自分を褒めたい。誰にも褒められない日常の中、私だけでも。
 祖母はそれから1月3日まで泊まり、その間出した食事の半分には文句を言い更にそこから半数は残した。その辺りの事は特筆すべき箇所もなく、ただ否定されただけにすぎない為、この話はここで終わる。

 こうして晩年は自宅で御節を作る事となった。
幸いにも父方の祖父母から野菜を貰っていた為、すぐに野菜を飾り切りにして下茹でする。それから祖母に習った通り、調味料を配合し一煮たちさせる。
限られた数の鍋を駆使し、どうにか半分作った頃にはもう夕暮れ。すぐに夕食の支度もしなければならなかった。
 家族が続々と帰宅し、祖母もやってきた頃にちょうど良く夕食も完成。順々に出していく。
私が台所で野菜を煮ながら立って食べていた頃、祖母が無駄に大きな声でこう言った。
「固い!何でこんなに米が固いの!?」
「よくこんなもの食べれるね!」
一瞬にして家中の空気が悪くなった。
 訂正しておくが、我が家で普段食べられている米は決して固くはなく、レストランなどで提供されるものと大差ないものである。それに対して祖母がこんなことを言えば、毎日食べている家族からすれば気分を害するのも当然だ。
そして祖母は食事を残して寝た。冷めた食事は母が朝から食べるからとラップをかけて冷蔵庫にしまい、年明け後に食べていた。
 一波乱過ぎ、野菜類がどうにか形になったところでその日は終わった。自分の冷たい布団に潜り、疲労感のまま一瞬で朝を迎える。

 31日、この日は昨日煮た野菜を再び火にかけては雑煮を作ったり、揚げ物や炒め物をした。
日中は祖母も透析で家におらず、悠々と作れていたが夜になれば騒々しかった。祖母がいる間は父による食事の催促はなくなる(祖母と顔を合わせたくないらしい)が、代わりに祖母が大きな声で催促してくるからあまり変わらない。
 そうしてこの日もまた台所で立って食べた。行儀が悪いのは分かっているが、年明けに間に合わなければ向こう数年は文句を言われると考えて自分の無作法に目を瞑った。
とは言え、母にはこのように言われた。
「どうして座って食べないの?」
あなたが事前に作ってほしいと言わず、直前になって言い出したからですよ。そう言いたかったが堪えた。
「そういう気分だから」
という事にした。きっと母の中で私は変わった人間だろうから問題はない。

 そして、年明けの瞬間。母たちが寝ていたのもあり、長子と末子とで年越しそばを食べて過ごした。
どうにか御節も間に合い、とても穏やかに迎えた瞬間だ。
しかし翌日、祖母が母に泣きながらこう訴えているのが聞こえた。
「夜、あの子たちだけでそばを食べていたのよ。私には一口もくれなかったの」
もしかしてギャグで言っているのか、そう言ってしまいたくなる発言だ。
 当然ながら、そばを準備する前に数回軽く揺すったり声をかけた。準備が終わった後にも呼び掛けた。それでも一言も返事をしなければ身動ぎ一つせず、瞼も動かさずに寝息を立てていたのは一体どういう了見なのか。
それでも起きていたとはどういう言いがかりなのだろうか。稚児の空寝も相手に気づかれていなければ理不尽なものだとわからないのか。
誰が見ても寝ているとしか思えない様子で、寝ていると判断して準備しなかったことをなぜ責められねばならないのか。
年始早々に全てが嫌になった瞬間だった。
 それからなし崩しのように年始の行事を済ませ、ようやく自分が好きに活動出来る時期に入った。その為、こうして書き綴っている。

 そういう年明けを迎えて数日。
今日も祖母が泊まりに来る。その日の夕方にLINEでそう言われた。
夕食を作る際、前回の『ありがたい苦言』を参考に、祖母が食べれるものを準備した。どんなに調節しても出す度に固いと言われる米で柔らかい粥を用意し、高齢である事も加味して十分な栄養を得られる献立にした。
これでも文句を言われれば私は怒っても良いのだろうか。
今の私には何もわからない。

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