あれもこれもメッセージに見える時
年が明けてからこちら、ゆるゆると、本当にゆるゆると転職活動を始めている。といってもまだ採用面接を受けたりはしていないので、転職のための情報を集めてるくらいの状況だとは思う。
そもそも「転職したい!しなくては!」という気持ちが明確って、自分がうっかりはまった行き止まりで途方に暮れている、ぼんやりした闇の中にいるということを示しているのではないだろうか。だからこそ、最近出会うものの中に、過剰にメッセージを感じてしまって面白いし、ちょっと怖い。
例えばNetflixで見た『KONMARI』で、「片付けは物を捨てることではなく、自分にとって何が大切なのかを確認すること、自分との対話」というメッセージを、『クィア・アイ』で「自分を愛する。自分は変われると信じる。」というメッセージを強烈に浴びた。恐らく制作側の意図とは特にずれたていないメッセージだと思うが、なぜか溺れるように強く感じるのは、受け取り手である自分側に要因があるはずなのだ。
そして今週、ようやっとメリーポピンズ リターンズを観た。
主演の2人の歌、ダンス、表情にノックアウトされたし、なにより、なによりベン・ウィショーがこんなハッピーエンドを迎えられる作品なんてどれだけあった!?と、変なところで涙ぐみそうになりつつ、十分に楽しませてもらった。楽しませてもらったけれど、ミュージックホールで披露される、本は表紙ではなく中身が大事だという歌や、霧の中で迷った時に歌われる、小さな灯りを探そうという詞、あと他にもあった気がするのだが、格言のような教訓のようなメッセージが妙に多いようにも感じた。
それらは、バンクス家の一大事を解決するためのヒントとして散りばめられていると思う一方で、こんなにどんどんメッセージを投下されるなんて、私はさすがに疲れているのでは?という気持ちにもさせられてしまった。
(とはいえ。とはいえベン・ウィショーが素晴らしかったのでお薦めだし、メリーポピンズとジャックの歌、ダンスシーンは最高なのでお薦め。)
背中を押してもらいたい。手を引いて「正しい」方向に導いて欲しい。そういう気持ちが自分の中にぎっしり詰まっているのかもしれない。なんだかちょっと危なっかしい気はする。とはいえ今、少なくとも職探しについては転んでもいいから進め、だ。
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