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美術史第4章『古代ギリシア美術-前編-』

ミノア文明で作られたカマレス土器

  エジプト初期王朝やメソポタミア初期王朝の時代、紀元前30世紀頃のギリシャのクレタ島ではミノア文明、キクラデス諸島ではキクラデス文明と呼ばれる文明が誕生し、ミノア文明では線文字Aという文字が誕生、農業の海上貿易で都市部の経済が大幅に発展しマリア、クノッソス、アヤ・トリアダなどに荘厳な宮殿が建設され、カマレス土器の様な工芸品も多く作成されており、キクラデス文明でも人体の特徴を簡潔にした土偶や彩色土器、金属器などが作られていたが、次第にミノア文明に吸収されていった。

 その後の紀元前17世紀に発生した大地震によりミノア文明の宮殿は一時壊滅、しかし、すぐに新宮殿時代に入り複雑で豪華な装飾を持つ宮殿や離宮が建設され、比較的自由な壁画が描かれており、この新宮殿時代の様式は前16世紀に北のバルカン半島からギリシャに南下してきたアカイア人のミケーネ文明に受け継がれ、文字も線文字Aを元にした線文字Bを発明、前14世紀にミケーネ文明がミノア文明のあったクレタ島を征服するとミケーネの美術は大きく発展、多くの建築物が建設され、絵は時代を経るごとに自然を描いたものから簡素なモチーフを用いたものに変化していった。

原始的な幾何学模様の壺絵

 その後の紀元前12世紀、当時の超大国ヒッタイト帝国が滅亡した前1200年のカタストロフと呼ばれる混乱期にミケーネ文明も崩壊、線文字Bは使われなくなり、ギリシア暗黒時代が到来、その頃にはミケーネ文明時代からの都市アテナイを中心として原幾何学様式と呼ばれる表面を水平な帯線で分け、そこに同心円や半円など幾何学模様を掘り込むという単純な壺絵の様式が誕生した。

幾何学様式の壺絵
メアンダー(ギリシア雷文)模様


 紀元前9世紀頃には壺絵の陶器の背が高くなり、陶器の首から胴の中辺りまでは装飾、下の方は火をかけ続けると黒く金属的に光る薄い粘土層が塗られ、ギリシア雷文(メアンダー)や、ジグザグ文様、菱形文様などが複雑に組み合わされた高度な装飾が行われる幾何学様式が確立、陶器の他にも素焼きや青銅の小さい彫刻などでは幾何学様式の影響で、動物や人間の各部位を幾何学的な形態に変えた様なものになっていった。

バッサイ神殿
ピタゴリオとへーラー神殿
アルテミス神殿
アルテミス神殿

 その後、紀元前8世紀のギリシャでは地中海を支配したフェニキア人のフェニキア文字からギリシア語を書き表すギリシア文字が発明され、各地に都市国家ポリスが誕生、アルカイック期と呼ばれる時代に入り、海上貿易が開始、エジプト文明やメソポタミア文明、フェニキア人などオリエント世界の工芸品が持ち込まれた事で、ギリシア東部の都市コリントスを中心に忍冬文や蓮、ロゼットなどの植物の文様や、スフィンクスなど架空の動物が装飾のモチーフとして用いられ、東方化様式が誕生、一方、幾何学様式の中心地だったアテナイでは叙事詩などの物語の人気が高まっており、是らをモチーフとした陶器や彫刻が制作され、やがて神話の表現へと昇華されてゆくこととなった。


アルカイック・スマイル

 紀元前7世紀にはエジプト彫刻の影響で、大きな彫刻が制作される様になり、両足を前後させて重さを均等に支えるポーズを取っている裸体男性彫刻というギリシア彫刻に特徴的なものも作られ始め、紀元前7世紀中盤には「アルカイック美術」と呼ばれる様式が確立、人体の彫刻は非常にリアルな骨格や筋肉を持つものに発展、「バッサイのアポロ・エピクリオス神殿」に代表される様な周柱式神殿が誕生、紀元前6世紀には「サモス島のピタゴリオとへーラー神殿」や「アルテミス神殿」などに代表されるイオニア式と呼ばれる建築様式の巨大神殿が建設され、建築装飾技法が発展、浮彫彫刻(レリーフ)では様々な表現が試行錯誤されていたようでアルカイック・スマイルという顔の表情はなるべく抑えた笑顔のような技法が誕生、また、この頃のギリシア美術ではメソポタミア文明で用いられ始めた大理石が多く使われており、現在のイメージでは大理石の彫刻などは真っ白と思われているが、実際にはエジプトとの交流で顔料が輸入できたため色が付けられていた。


色付きの彫刻の復元
ゲリュオンとヘラクレスが戦うギリシア神話の場面を描いた黒絵式壺絵

 アルカイック美術が開始した頃の壺絵の分野ではコリントスで黒絵式という主に黒色で装飾が描かれた技法が誕生、黒絵式では神話の場面の神々や英雄を描いた壺絵が多く作られ、ギリシアは勿論、イタリア半島北部のエトルリア王国でも黒絵式が多く作られ、(フランソワの壺)黒絵式では、アテナイの陶芸家エクセキアスは黒色でシルエットを描き、乾いた後に細かい描写を行う方法を用い精密で重厚な神々を描いた作品を、同じくアテナイの陶芸家アマシスの画家は曲線的で明るい構図で人間味のある神々を描いた作品を制作し、黒絵式は大きく発展した。

フランソワの壺の画像
エクセキアスの作品
アマシスの画家の作品

 アマシスやエクセキアスの時代の後のアテナイではより細部に拘って絵の部分以外を塗りつぶして絵を作り出し、それにさらに細部を書き込む赤絵式がエウフロニオスなどにより確立されてゆき、徐々に黒絵式に取って代わり、紀元前5世紀には赤絵式の壺絵のクオリティは向上、ベルリンの画家やクレオフラデスの画家などの大型陶器の絵付師とドゥーリスやオネシモスなど小型陶器の絵付師にわかれ、流派もパンの画家の様に衣服やポーズを誇張して表現するものや、アキレスの画家の様に自然なポーズを追求するものなどが誕生した。


エウフロニオスの作品
ベルリンの画家の作品
ドゥーリスの作品
クレオフラデスの作品
パンの画家の作品
アキレウスの画家の作品

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