見出し画像

一生働くわけでもない職場で、なぜ人は限界まで「頑張る」呪縛にかかるのか

お久しぶりです。ハルチンです。
過去の出来事を掘り返していくと、「結局あれはなんだったんだ・・・」と遠い目をしてしまう事があります。
私にとっての闇の部分。消化しきれていない部分に目を向けるのがしんどくなりそうな時もありますが。ここはスルーせず、振り返ってみましょう。

誤解されてスカウト、サラリーマンデビュー。

以前、勤めていた制作会社が3年半でつぶれた話を書きました。自転車操業だったので、もうお金ない、会社つぶれる、というギリギリまで制作を続けており、最後はヤバい方面からの資金調達を余儀なくされました。

それでも完成までこぎつけたのは、監督の執念。

しかし、やっと出来上がった作品も、制作母体が空中分解してしまったため、お蔵入りの状態

そこで立ち上がったのが、当時の制作マネージャー。個人で会社を登記し、この作品の受け皿として公開までの道筋をつけようとしたのです。
下積み時代からお世話になったこのマネージャーには、恩返し以上の気持ちもあり、私も手伝うことにしました。

地方ロケの時にお世話になった人たちや、マスコミ、地域の有力者にアポを取り、宣伝のお願いやチケットを委託する方式で、小さな規模ですが公開が実現しました。

その後どうやってつながったのか、とある都内の配給会社が映画公開を引き受けてくれることに。やっと日の目を浴びる、と喜んでいたところ、なぜか私も映画と一緒にその会社に引き取られることになりました。

後で聞いた話ですが、「携わった作品に、最後まで責任を持とうとする今時珍しい感心な若者」と社長に誤解されたみたいです。
単に、食いっぱぐれていただけですが・・・

縁あって、サラリーマン生活を始めた私。これまでの生活との違いに戸惑いました。朝、定時に出勤し、どこで誰と何をするか、いちいち報告して許可を得て仕事をする、というスタイルに、まったく慣れていなかったのです。
個人の携帯で連絡を取り合う、ということも、あまり推奨されていませんでした。

何かやるごとに、社長にお伺いをたてる。自分の判断では決められない。
これまで、業務請負という形でやってきたので、自分が引き受けた仕事はどうやろうと自分が責任を持つ、という感じだったのが、1歩進むごとにゲートがあるような不自由感

はじめの頃は、社長の意向がまったく読めなくて、何で怒られるのか理由すら分かりませんでした。すべてにおいて「社長の顔色をうかがう」のが社是だと分かって、外部に対して「決める」ということをしなくなりました。権限を委譲されていないのに、決めるなんて許されませんから。

当然、仕事のモチベーションは落ちました。切なかったのは、私を含め社員の誰一人、社長を好きな人がいない、ということでした。嫌いな人の思考を読み取り、気分の浮き沈みに振り回され、日々感情労働をする、というのは疲れますね。体力的には、制作現場よりはるかにラクですが、精神的にどんどんしんどくなっていき、会社を出た瞬間コンビニに寄って缶チューハイを買ってしまうような生活に陥っていきました。

ドン底に落ちているとき、自分のことって見えなくなっているもんです。この生活が、一生続くわけでもないのに、先のことが考えられなくなります。
そもそもなんでここで働いているのか、給料のため?それとも業界の片隅にしがみついていたいから?

配給会社って、高学歴の人がいっぱいいて、みんな安い給料で働いて、何がたのしいんだろう?って、本来仕事が楽しいんです。自分がプロモートした作品がヒットする、マスコミの人と仲良くなれる、芸能人や文化人と会える、こういった華やかな面に目が向きがちです。
一方で、本当に好きなもの以外は他者に勧められない性格だと、行き詰まります。一言でいえば営業の仕事なんだから、どんな作品でも売ってこなくてはダメなのに、自信を持てないんです。見抜かれるんです。

ならばすっぱり辞めればよかったのに。
結局、ダメダメ社員として2年半もお世話になった挙句、自分へのウソを積み重ねて、ダウナー状態に・・・

憧れに胸ふくらませて飛び込んだ映画業界。夢や希望、仲間との連帯とか、泥臭くてもがんばってきた自分への信頼とかをすべて使い切って、私はこの業界からついに足を洗いました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?