恋に悩める少年少女#1(小説)

「早苗くん! 好きです、付き合って下さい!」

 風が緩やかに流れる放課後、学校の屋上。
 肩に触れるほどの高さの黒髪が身体を起こした時にふわりと揺れる。
 刈谷陽奈(かりやひな)は、真っ直ぐな眼と、強張った表情で彼を見ていた。

 それは、いわゆる、愛の告白というヤツである。
 それを受け取るは、早苗響(さなえひびき)。

「ごめん、断るよ。というか、なんで俺?」
 
 早苗響は、空気の読めない男である。思ったことを率直に口にしてしまう性分なのだ。
 本当は、今目の前にいる相手が誰なのかもよく分かっていない。しかし、流石にそれを口にしてしまうのは、相手を傷付けかねない。そのことだけは、無意識的に判断できたのだ。

「あ、うう」

 刈谷は、基本的には臆病な女である。クラスには友達と呼べる人はいないし、休み時間も席を立つことなく、本を読んでいるような目立つことのない生徒だ。
 クラスでも前に出てゆくことはなく、いつも後方から様子を窺いながら、自分の出番を待ち、ただ空気になるだけの存在だ。

「2か月前、1年生の頃同じクラスだったでしょ? B組の男の子が私のことを悪く言っているのを偶然見かけて……。その時、早苗くんが、私を庇うようなことを言ってくれているのを見て、それで」

 両手をぎゅっと強く握りしめ、刈谷は祈るように言葉を紡ぎ出した。

「2か月前? 記憶にないなぁ」

 本当は、同じクラスだったことすら、記憶にない。しかし、そんなことを口に出してしまえば、刈谷からの好感度は急転直下……だろう。
 早苗にしては珍しく、理性が上手く働いた瞬間だった。

『刈谷ってやつさぁ、全然コミュニケーション取れないんだよ、まじ』
『あぁ、確かに。声とか小っさくて、会話すんの苦労すんだよな。俺、テキトーに返事してるわ』 

 クラスの喧騒の中、何でもない授業の合間の休み時間、たまたま机の近くで集まって談笑し始める男子ども。遠くの席に座っているからといって、わざわざその場にいる時にそんな話をしなくてもいいだろうに……。

『別にフツーじゃないか。俺は何とも思わないよ』

 話の輪に入っていなかったはずなのに、早苗は何故か主張していた。
 人を貶めるような発言が気に食わなかったのだろうか、それとも、自分の周りでうるさくされるのを警戒してのことかもしれない。その真意は当人でも分からない。

「いい、いいの。ほんと些細なことだったんだから、めげないで私」
 
 相手が憶えていないことは予想できていたけれど、全く期待していなかったと言えば嘘になる。仕方ないことだと、早苗に聞こえないよう静かに呟いた。
 刈谷は、痛んだ心の奥を庇うように、胸に手を置いた。

「あの時、早苗くんが、庇ってくれたから、今の私があるの。思ったことを口にするって、とても勇気がいるけれど、あの時の早苗くんの行動が私に勇気をくれたの」

 声を震わせながら、刈谷は言った。

 子供の頃から、自分の感情を上手く、周りに伝えることができなかった刈谷にとって、あの時の早苗の姿はとても眩しく見えたのだった。

「別に、好き勝手言いまくる奴なんてどこにでもいるだろ」

 冷たくするわけでも、オブラートに包むわけでもなく、早苗は淡々と言い返す。
 
 早苗自身、そういう性分ではあるが、刈谷にとっては既知ではない。なぜなら、早苗も目立つタイプではなく、刈谷が彼を意識し始めたのは、件の出来事からだからだ。
 春休みを隔て、クラス分けがあり、二人は別々になってしまった。刈谷が早苗を深く知る為の時間はあまりにも短かったのだ。

 春晴れの空に、一瞬強い風が吹いて、二人は目を細めた。
 少しの沈黙のち、口を開いたのは、早苗の方だった。

「俺は、お前のことをよく知らないし、好きとか嫌いとか、恋愛事なんかに興味ないんだ。今、誰に好意を寄せられたとしても、その相手が望んでいる答えを返すことはできない」

 今、目の前にいる相手を傷付けたくないという思いが脳裏に浮かんだことを、自分らしくないと含み笑いをしてしまう。
 こんな取って付けたような物言いで慰めになるとは思ってはいない。ただ、その言葉は口から出任せで言ったものではなく、早苗響という、不器用な男の最大限の優しさなのだ。

 早苗はいつも自分が気付かない内に他人を傷付けてきた。その無意識の言葉は時に鋭利な刃物のように他人の心に傷跡を残す。それ故に、人から嫌われ続けてきた。無論、早苗の性格に値する周りの評価として正しい反応だろう。

「そう、ですか……。そうなん、ですね」
 
 刈谷の次の言葉を待っていた。
 どんなことを言われても仕方ない。どんな表情をされても、早苗がこれ以上、相手にしてやれることはない。
 恋愛なんて最後には嫌な思いが残るだけだ。誰かが悲しまなきゃいけない定めにあるのだから。

「でも、私諦めるつもりないので」
 
 俯いていた顔を上げ、刈谷は笑って言ってみせた。
 目尻に涙を湛えながらも、彼女の「強さ」を窺わせるその笑顔が、早苗の脳裏に強く焼き付いた。

 その感覚は早苗にとって、初めてのものだった。他人に興味を持つことなんて、今まであっただろうか。思い返すまでもなく、今まで人に惹きつけられることはなかった。自分の推測し得る可能性を越えてきた事実が、不可思議な違和感という痕を残していた。

「私決めていたんです。生半可な気持ちで誰かのことを本気で好きにはならないって。だから、これは宣戦布告なんです」

 それはこの場の雰囲気を鎮めるための単なる誤魔化しではなく、心からの言葉だと、彼女の瞳を見れば一目で分かる。刈谷には一本の大きな芯が入っているかのように、ぶれることのない意志の核がある。早苗の目にはそれが映った。

「だから、友達になって下さい!」

「それなら、いい、かもしれないな」

 もしかしたら、刈谷の申し出を断るべきだったかもしれない。後から思い返してみれば、そんな風に考えてしまう早苗がいた。しかし、彼にはその選択はできなかっただろう。

「刈谷には、敵わないな」
「何か言いましたか?」
「いいや、何でもないよ」

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