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結果と過程

 終わりよければ全てよし。どれだけミスをしても、どれだけ他人に迷惑をかけても、最後笑顔が多ければそれが勝ち。これが、結果重視。
 本番がうまくいかなくたって、最後の最後につまづいたって、そこまでに得られたものはその経験でしか得られないものだし、必ず自分を成長させているから勝ち。これが過程重視。

 私は、ずっと、結果重視の人間だ。他人に迷惑をいくらかけられても最後成功すればそれでいいやと思う、自己犠牲からくる結果オーライな考え方。これを胸を張って主張できるのは、成功をたくさん経験しているからで、失敗を重ねていたらこうはなっていない。私は完璧主義者なので、自分が失敗することを、受け入れることができない。多分、私の記憶に失敗の記憶が少ないのは、意図的に、もしくは無意識的に、脳から削除されているのだと思う。

 それか、結果が悪いと思ったら、そこをゴールとしない。粘って粘って、成功まで漕ぎ着けてから、ゴールインの顔をして、成功を語る。だからこそ、結果さえ良ければ、という考え方に至っていた。 でも、人生は長いので、広い視野で見たときのゴールってやっぱり死ぬことで。死ぬことはどう足掻いても、というか足掻くこと自体が失敗なので、結果オーライ人間は最後に大敗北をすることが、生きているだけですでに決まっている。

 とはいえ、私たちはやはり人生という長いスパンのものにある程度の区切りをつけて、成功と失敗に分けていくわけです。
 10ヶ月間毎日忘れずに続けていたことが、先日ついに報われました。こういうタイミングが、人生の成功の区切りですよね。気分が完全に上がっている。けどこれはあくまで、私の中の区切りなので、昨日までの私といえば、出演予定だったライブにメンバーの体調不良や予定が入ったことによって出れなくなったりとか、そのせいでお金だけはかかってしまったりだとか、とにかく周りからみたら成功人生とは思えないようなざまだったわけ。今の私は、私が満足しているから最高に成功人生だと思うし、自分の人生を成功だと思っているときって、誰かの持っているものをほしがることもない。心の余裕がやばい。余裕って同時に休息という意味もあるから、今だけは、誰よりも私が幸せであることを疑うことはない。

 過程って、成功も失敗もどちらも含まれた言葉で。圧倒的に結果より多くのものを持っている。でも私は、「成功をした」という結果的な幸せを、過程を重視することによって薄めたり濁したりしたくない。
 大きな幸せは、大きなうちに咀嚼したい。大きな塊のまま、喉に詰まらせながら飲み込みたい。

 どっちの方が多いんだろ、結果と過程、重視するの。結構性格わかるよね。MBTIとかもそうだけど、こういう抽象的な質問ってすごく単純そうに見えるのに、人によって捉え方がだいぶ違うとおもう。
 どんな状況下のことを思って答えるかによって、返答も変わるから、ああいうのって具体的な方がいいんじゃないのかなって毎回思うけど、ずっとあれであるならあれが正解なのかな。

まあ、どんな質問であれ、かかってこいやという話なんですが。

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